松井昭憲松井 昭憲(まつい あきのり、1946年7月23日[1][2] - )は、毎日放送の元アナウンサー。2006年7月から2009年7月までは、同局の専属パーソナリティであった。 来歴・人物大阪府堺市の出身で、血液型はB型。 「昭憲」という名前は、出生年の1946年に公布された日本国憲法(通称「昭和憲法」)に由来する。 大阪府立泉陽高等学校から同志社大学へ進学。大学時代に出演した『素人名人会』(MBSテレビ)では、敢闘賞を獲得した。 大学卒業の1970年に、アナウンサーとして毎日放送へ入社[2]。同期入社のアナウンサーに、池口和雄(後に報道局長や関連会社・GAORAの監査役などを歴任)や春日貴(現在はミリカスポーツ振興社長)などがいる。 ちなみに、毎日放送での第一志望は営業職で、アナウンサーは第二志望に過ぎなかった。「放送局で『花形の仕事』と言えば営業」と思っていたことに加えて、自分の声質が気に入っていなかったことや、学生時代に音楽大学の教官から「(男性の)アナウンサーはバリトンの声の持ち主であることが望ましいが、あなた(松井)の声はテノール」と言われたことによる。これに対して、当時の同局の入社試験では、(通常はアナウンサー試験でのみ実施される)マイクテストの対象を営業職の志望者にも広げていた。そこでマイクテストに臨んだところ、営業職ではなくアナウンサーとして採用されたという[3]。 毎日放送では、テレビ番組の司会やラジオ番組のパーソナリティなどを担当。『あどりぶランド』(MBSテレビのアナウンサー総出演番組)の名物企画「ハジソン博士の○学」などでは、1年後輩・近藤光史とのやり取りが人気を博した。また、1987年度のギャラクシー賞を受賞した桂三枝(現在の六代 桂文枝)原作のラジオドラマ『公開らくごラマ「大阪レジスタンス」』(1988年3月13日にMBSラジオの『MBSサンデースペシャル』で放送)では、大阪弁のアナウンサー役を演じている。また、在外研修の一環として、アメリカ・ニューヨークのラジオ局で生放送番組に出演した経験を持つ。 1992年5月にアナウンス部から広報部に異動。数年後にアナウンサーとして復帰したが、2006年7月23日に定年で同社を退職した。この退職によって、1975年の同社テレビ部門のネットチェンジ(NETテレビ・東京12チャンネル系列→TBS系列)を体験したアナウンサーは、同社に1人もいなくなった。 定年退職後は、同局の専属パーソナリティとして、MBSラジオのニュースキャスターを担当。2009年7月30日放送の『ノムラでノムラだ♪ EXトラ!』内のニュース(ネットワークTODAY)を最後に、同局での番組出演を終えた。 MBSラジオとの専属出演契約満了後は、放送の現場を離れて、実母の介護や絵画の創作などを優先。その一方で、大阪府箕面市で活動する朗読サークルの「ゆう」で、朗読の指導に当たっている[3]。ただし、2010年8月31日にMBSラジオで放送された毎日放送開局60周年記念番組『31.5時間ラジオ〜MBS史上最大のラジオ祭り 歌でつなげる60年 目指せ1179曲てアンタ!?〜』で、約1年振りに放送へ登場した。さらに、同年10月19日に同局で放送された『MBS開局60周年アワー 音楽の時間ですょ 目指せ1179曲てアンタ!?』では、近藤とともに第2部「特集アワー」のパーソナリティを務めている。 2015年10月5日から2017年3月までは、MBSテレビの情報番組『ちちんぷいぷい』で毎週月曜日に放送された藤林温子(2015年入社のアナウンサー)担当のロケ取材コーナー(「連続たまご紀行」→「朝ごはん食べよッ!」)でナレーターを担当。映像に顔を出す機会はなかったものの、MBSラジオとの専属出演契約満了後初めて、毎日放送の番組にレギュラーで携わっていた。さらに、MBSラジオで2017年7月31日に放送された『おとなの駄菓子屋』では、毎日放送の先輩アナウンサーであったパーソナリティの角淳一と久々の共演を果たしている。 人物・エピソード
MBS専属パーソナリティ時代の主な出演番組
MBSアナウンサー時代の主な出演番組テレビ
ラジオ
脚注参考文献関連人物 |