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東飯田村
ひがしはんだむら
東飯田村
廃止日
1955年2月1日
廃止理由
新設合併
野上町
、
飯田村
、
東飯田村
、
南山田村
→
九重町
現在の自治体
九重町
廃止時点のデータ
国
日本
地方
九州地方
都道府県
大分県
郡
玖珠郡
市町村コード
なし(導入前に廃止)
総人口
4,819
人
(
国勢調査
、1950年)
隣接自治体
森町
、野上町、南山田村、
玖珠町
東飯田村役場
所在地
大分県玖珠郡東飯田村大字恵良
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示
東飯田村
(ひがしはんだむら
[
1
]
[
2
]
)は、
大分県
玖珠郡
にあった
村
。現在の
九重町
の一部にあたる。
地理
河川:
玖珠川
[
3
]
、松木川
[
4
]
歴史
1889年
(明治22年)4月1日、
町村制
の施行により、玖珠郡恵良村、右田村、松木村が合併して村制施行し、
東飯田村
が発足
[
1
]
[
2
]
。旧村名を継承した恵良、右田、松木の3大字を編成
[
2
]
。
1896年
(明治29年)3月29日、大字右田の大部分と飯田村大字野上・後野上が分立して
野上村
が発足
[
5
]
[
1
]
。
1942年
(昭和17年)大分合同銀行恵良支店開設される
[
2
]
。
1948年
(昭和23年)東飯田
農業協同組合
設立される
[
2
]
。
1955年
(昭和30年)2月1日、玖珠郡野上町、飯田村、南山田村と合併し、
九重町
を新設して廃止された
[
1
]
[
2
]
。
地名の由来
飯田の東側に位置するため
[
2
]
。
産業
農業、商業、交通業
[
2
]
脚注
^
a
b
c
d
『市町村名変遷辞典』654頁。
^
a
b
c
d
e
f
g
h
『角川日本地名大辞典 44 大分県』682頁。
^
「恵良〈九重町〉」『角川日本地名大辞典 44 大分県』174頁。
^
「松木〈九重町〉」『角川日本地名大辞典 44 大分県』763頁。
^
“
国立国会図書館デジタルコレクション 現行大分県令規全集 第1綴
”.
dl.ndl.go.jp
.
2024年5月19日
閲覧。
参考文献
角川日本地名大辞典
44 大分県
『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
関連項目
大分県の廃止市町村一覧