来た、見た、勝った「来た、見た、勝った」(きた、みた、かった 羅: Veni, vidi, vici, 古典ラテン語:ウェーニー・ウィーディー・ウィーキー)とは、共和政ローマの将軍・政治家のガイウス・ユリウス・カエサルが、紀元前47年のゼラの戦いの勝利を、ローマにいるガイウス・マティウスに知らせた言葉である。 概要ローマ内戦において、カエサル率いるローマ軍がナイルの戦いでプトレマイオス朝のファラオのプトレマイオス13世らを破った後、小アジアに派遣していたグナエウス・ドミティウス・カルウィヌスがポントス王ファルナケス2世に敗北したという報せが届いた。 カエサルは6月にエジプトを発ち、途中シリアやキリキアの安定化に努めながらポントスに向かい、8月2日、ポントス西部のゼラでファルナケスと会戦した。戦闘は4時間程でカエサルが指揮するローマ軍の勝利に終わった。この時、ローマにいる腹心の1人ガイウス・マティウスに「来た、見た、勝った」と書いた手紙を送った。 カエサルの文体は、共にラテン文学の双璧とされるキケロとは対照的に、明瞭簡潔を特徴とするが、この「来た、見た、勝った」の三語は、その特徴をよく表すものである。 出典プルタルコス『対比列伝』のカエサル伝によれば、この言葉はゼラの勝利の後にマティウスに書いた手紙に「来た、見た、勝った」という意味の言葉をラテン語で書いたとされる(『対比列伝』はギリシア語で書かれており、もとのラテン語が何だったかは記されていない)。
(そしてその戦いの激しさと速さを伝えるために、ローマの友人のひとりであるマティウスにあてて「来た、見た、勝った」という3語を記した。ラテン語ではこの3つの語は同じ動詞語尾を持ち、ありえないほど短い。) スエトニウス『皇帝伝』のカエサル伝では、ポントスの勝利の記念碑の銘文として、この3語のみを記したとする。
現代での引用
脚注
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