村上農園
株式会社村上農園(むらかみのうえん)は、広島県広島市に本社を置く、植物工場を運営する施設野菜メーカー。スプラウトの国内最大手。日本にブロッコリースプラウトや豆苗を普及させた。 沿革略歴
初期創業者の村上秋人は、旧制農学校を卒業し県経済連に勤め、終戦後の混乱の中で県経済連を辞め会社経営を始める[1]。その中で1966年刺身のツマに用いる紅タデの栽培を始める[1]。 1976年排他的経済水域が制定されたことで漁業の衰退が予想されたことにより、紅タデ栽培だけに頼ることに危機感を抱いた村上は、品目の転換を考え始め、そこでかいわれ大根の水耕栽培を始めた[1]。当時かいわれ大根は料亭などで吸い物の彩りや添え物などに使われる高級食材だったが、技術革新により半値以下で供給できるようになり、またその普及にも努めた[1]。村上農園公式によると寿司ネタのかいわれ巻きは村上秋人が考案したという[1]。1980年代後半になると全国でかいわれ大根生産業者が増えたことにより価格競争に突入するも、村上農園は合理化とコスト削減、薄利多売化を行い、かいわれ大根専業で国内シェア30%を超えるトップメーカーに躍り出た[1][2]。 経営危機1996年、O-157による集団食中毒が発生、かいわれ大根がその感染源と疑われたことにより、その生産業者は風評被害で壊滅的な被害を受ける[1][2]。翌1997年にもO-157による集団食中毒が発生、これにより2年で生産業者は次々と倒産した[1]。マスコミに向けてかいわれ大根の安心・安全性を訴えるも、逆効果だったという[2]。村上農園も大きく落ち込み、債務超過寸前・倒産寸前までに至り、若手社員は悲観し次々と辞職したという[1][2]。そうした危機的状況下でかいわれ大根に代わり本格的に生産が始まったのが豆苗である[1]。当時、豆苗の認知度は低く、社員総出で店頭に立ち試食販売を続け普及に努めた[1]。 また豆苗販売と並行して、村上農園が企画したハーブ類やルッコラ、ツマものなどを農家に委託して村上農園ブランドで販売する委託生産を始めた[2][1]。これが当たり豆苗販売と合わせて黒字化に成功した[2][1]。 スプラウト、豆苗の普及1997年、米国ジョンズ・ホプキンス大学医学部のポール・タラレー教授が、ブロッコリーに微量に含まれるファイトケミカル「スルフォラファン」を高濃度に含むブロッコリースプラウトをがん予防研究の過程で開発した。村上農園は、このスプラウトの生産に関して、日本国内における独占ライセンス契約を獲得。1999年、かいわれ大根の生産で培ったノウハウを生かしてブロッコリー スプラウトの生産を始める。2001年には、スルフォラファンをさらに高濃度に含むブロッコリー スーパースプラウトの生産も開始した。ちょうど人気健康情報番組でこの商品が取り上げられたことで需要が拡大した[2]。 豆苗が普及拡大しはじめたのは、2008年リーマン・ショックを機に節約志向が高まったころから。猛暑などの異常気象による野菜価格の高騰なども背景に、ほうれんそうなどの緑色葉物野菜の代替として豆苗が注目を集めるようになり需要が年々増えた[3]。これを受けて2011年山梨県北杜市に自動化システムなどを導入した国内最大の豆苗専用植物工場を建設[3]。2019年の豆苗出荷量は、10年前(2009年)の約8倍に拡大した。 こうして、ブロッコリースプラウトなど有用成分を高めた「機能性野菜」、豆苗など緑色葉物野菜の代替となる「大衆普及型常備野菜」の生産が事業の柱となった。さらに近年では、飲食店向けにマイクロハーブなどの「外食向け新野菜」の生産にも取り組んでいる[2]。 事業所
関連会社
参考資料テレビ番組
脚注
外部リンク
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