村上三郎

村上 三郎(むらかみ さぶろう、1925年6月27日 - 1996年1月11日)は、日本芸術家

息子は漫画評論家村上知彦

来歴

兵庫県神戸市に生まれる。1943年関西学院大学予科に入学。絵画部「弦月会」に入部する。神原浩に師事し、油絵を始める[1]1948年、同大学文学部哲学科を卒業。1950年、同大学大学院美学科を修了[2]

1952年白髪一雄田中敦子金山明らと「0会」結成[3]1955年、白髪、田中、金山らと共に、吉原治良をリーダーとする具体美術協会に参加[4]。木枠に張った多数の紙を突き破って通り抜けるパフォーマンス『紙破り』で知られる。

1990年神戸松蔭女子学院大学短期大学部の教授となる。1996年1月11日、自宅で死去。70歳没[1][2]

2014年3月7日から3月29日まで、「村上三郎展」が大阪市のアートコートギャラリーで開かれる[1]

パブリックコレクション

関連書籍

  • 『ビターズ2滴半 村上三郎はかく語りき』(坂出達典・著、せせらぎ出版、2012年7月発行)
  • 『村上三郎 Through the '70s』(青幻舎、2013年2月発行)[6]

脚注

 

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