李永鎬
李 永鎬(リ・ヨンホ、리영호)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の満州派に属する軍人、政治家。李英鎬とも表記される。朝鮮戦争開戦時の第3師団長。 経歴1909年、慶尚道(北道か南道かは不明)に生まれる。 1936年2月、東北人民革命軍第4軍第2師交通員。 1938年、抗日パルチザンの東北抗日連軍第7軍第2師第7団政治委員。 1940年3月、東北抗日連軍第2路軍第2支隊第2大隊政治委員。日本軍の討伐を逃れてソ連に入り、同年12月に党幹部会議が開かれ、北野営党臨時委員会宣伝委員。 1942年、第88特別旅団第3大隊第5中隊副中隊長・上尉。 第2次世界大戦終戦後は帰国し朝鮮人民軍の創設に参加。1946年、保安幹部訓練所第3所長[1]。後に保安幹部訓練所が師団に改編されると、第2師団第6連隊長[2]。1947年、李権武がソ連軍顧問と衝突して兵士に降格した際に第1師団第1連隊長を務めた[3]。1948年、第3師団長[4]。第3師団は当時の人民軍最精鋭師団であり国境開戦や大田の戦い、釜山橋頭堡の戦いに参加した。第3師団長としての功績で朝鮮民主主義人民共和国英雄と第1級国旗勲章を受章した[5]。しかし国連軍の抵抗で消耗して1950年9月の反抗作戦で第3師団は壊滅し、李英鎬は帰還した。帰還後は第7軍団長等を歴任した。 1953年、民族保衛省副相。 1954年、海軍司令官に就任。 1954年3月、朝鮮人民代表団副団長として中華人民共和国を訪問。 1956年4月、朝鮮労働党中央委員会委員(第3回党大会)。 1957年5月、駐中国大使。 1959年12月、朝鮮人民軍中将。 1961年9月、労働党中央委員会委員(第4回党大会)。 1962年4月、中国大使を辞任。5月、労働党中央委員会行政部長。10月、最高人民会議第3期代議員当選、最高人民会議常任委員会委員。 1965年、朝鮮人民軍大将。 1967年、最高人民会議常任委員会副委員長。 軍部強硬派であったため1970年頃に粛清。 脚注参考文献
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