朽木舖綱
朽木 舖綱(くつき のぶつな)は、江戸時代中期の大名。丹波国福知山藩の第7代藩主。福知山藩朽木家8代。諱は鋪綱とも記される。 略歴享保15年(1730年)11月24日、第5代藩主・朽木玄綱の長男として誕生した。明和7年12月5日(西暦では1771年1月20日)、第6代藩主・綱貞の養嗣子となる。本来なら玄綱の跡を継ぐはずだったが、綱貞が家臣団から擁立されたため、舖綱は綱貞の養子となった。明和8年(1771年)2月15日、第10代将軍・徳川家治に拝謁する。同年12月18日、従五位下・伊予守に叙任する。安永9年(1780年)8月5日、綱貞の隠居により家督を継いだ。 舖綱は『擬独語』を著わし、藩校創設の基礎を築き上げるなど、藩政を立て直すために積極的な藩政改革を目指したが、家督相続から7年後の天明7年(1787年)9月19日に福知山で死去し、十分な成果を挙げることはなかった。享年58。 系譜 |