本庄道揚

 
本庄道揚
時代 江戸時代中期
生誕 宝暦3年3月11日1753年4月14日
死没 明和8年10月18日1771年11月24日
改名 松平音次郎→本庄道揚
戒名 浄泰院殿栄誉寛寿遺岸大居士
墓所 東京都足立区伊興町狭間の法受寺(元は浅草誓願寺別院安養寺)
官位 従五位下、山城
美濃高富藩
氏族 大河内松平氏本庄氏
父母 父:松平信復、母:側室 登利(金田氏)
養父:本庄道信
兄弟 某、松平信礼、某、松平信正道揚、壬次、遠藤胤富
振(池田政香室)、悦(鍋島直益室)、元(大久保教和養女)
養子:道利
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本庄 道揚(ほんじょう みちあき)は、美濃高富藩第6代藩主。

宝暦3年(1753年)3月11日、三河吉田藩主・松平信復の五男として江戸の吉田藩谷中下屋敷で生まれる。明和3年(1766年)12月17日、先代・本庄道信の養子となる。道信は翌日に死去した。明和4年(1767年)2月11日に家督を相続する。明和5年(1768年)12月18日、山城守に叙任する。明和7年(1770年)4月、日光御祭礼奉行を務める。明和8年(1771年)10月18日、江戸で死去。19歳。跡を養子の道利が継いだ。

系譜

父母

養子