本庄寿巨
本庄 寿巨(壽巨、ほんじょう ひさなお、1855年8月19日(安政2年7月7日[1])- 1929年(昭和4年)7月15日[1][2])は、明治から大正期の司法官、銀行家、政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・細川[1][3]。本荘と表記する場合がある[2][3]。 経歴元肥後宇土藩主・細川行芬の十男として生まれる[1][3][4]。1877年(明治10年)6月16日、旧美濃高富藩主家当主・本庄久米(本庄道美五女)の入夫となり家督を継承[1][3][4]。1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[5]。 1876年(明治9年)1月、司法省出仕となる[2][3][4]。以後、内務省地理局雇、内務属、鹿児島治安裁判所詰判事、都城治安裁判所詰判事、延岡区裁判所検事兼宮崎地方裁判所検事、麹町区裁判所検事、兼京橋区裁判所検事、東京区裁判所管内公証人などを務めた[3][4]。退官後、実業界に転じ、御嶽貯蓄銀行頭取、愛国銀行取締役、東華銀行頭取、日本信託会社取締役などを務めた[3][4]。 1890年(明治23年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され、1911年(明治44年)7月9日まで3期在任した[2]。 1916年(大正5年)8月5日に隠居し[6]、同年9月12日に分家した[1]。 親族
脚注参考文献
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