木村光佑 (サッカー選手)
木村 光佑(きむら こうすけ、1984年5月14日 - )は、兵庫県神戸市出身の元プロサッカー選手、コーチ。ポジションはディフェンダー(サイドバック)。 メジャーリーグサッカー(以下MLS)初の日本人選手[1]。 来歴2007年1月のMLSサプリメンタルドラフトで日本人プレーヤーとして初めてコロラド・ラピッズに全体の35番目で指名され、同年3月に正式契約の28人枠に生き残り、日本人初のMLSプレーヤーとなった。 2007年シーズンも終わりに近づいた9月22日のレアル・ソルトレイク戦で右サイドバックとして90分間プレーし、1年目にしてトップデビューを果たす。10月7日のトロントFC戦でも同ポジションでフル出場。試合後、地元テレビ局の選ぶMVPに選ばれる。最終的に4試合に出場しその全試合で90分プレーし、2008年度も引き続きコロラドでのプレーが決まった。 2008年シーズンは18試合に出場しうち17試合が先発で計1438分プレーし、チームの主軸となった。 2009年5月2日、第7節レアル・ソルトレイク戦において自身プロ初ゴールを決めMLS史上初となる日本人選手による得点を記録した[2]。このシーズンは26試合に出場しうち21試合で先発、1932分プレーし2ゴール2アシストを記録した。 2010年も開幕時からレギュラーポジションを確保。シーズン中盤に疲労骨折もあったが、回復後もレギュラーポジションを維持して23試合に出場し21試合で先発。計1,931分プレーし3アシストを記録。 日本人として初めてプレーオフに進出すると、チームはワイルドカードから勝ち上がり、サンノゼ・アースクエイクスとのイースタン・カンファレンス・チャンピオンシップ決定戦では決勝点を記録、MVPを獲得すると同時にチームをMLSカップ進出に導いた[3]。 迎えたMLSカップにも先発フル出場、延長戦の末にFCダラスを破り全米制覇を達成。日本人として初めてMLSカップを獲得した。2010年のプレーオフでは4試合に出場、先発した。 2011年はレギュラーシーズン34試合に全試合先発で出場して2,996分プレーし、1ゴール1アシストを記録した。ポストシーズンではワイルドカードプレーオフで決勝点に繋がるアシストを記録し、チームのカンファレンスセミファイナル進出に貢献したが、その第一戦の前半で相手のタックルを受け左足を骨折し、チームもセミファイナルで敗退してシーズンを終えた。 2012年シーズンも開幕から17試合で12試合に先発出場し987分プレイして1ゴール2アシストを上げるなど結果も残したが、前年まで木村を重用したゲーリー・スミス前監督に代わってこの年から監督に就任したオスカル・パレハの構想から外れ、ベンチを外れることも多くなり、シーズン途中の7月にMLSのポートランド・ティンバーズに移籍した[4]。移籍先のポートランドでもすぐにレギュラーポジションを掴んで17試合に出場しうち16試合が先発で1376分プレーし1ゴール1アシストを記録した。 2012年シーズン中から次の移籍先を探し、米国外のクラブからのオファーもあった中、2012年12月、MLSのニューヨーク・レッドブルズへの移籍を決定した[5]。2013年シーズンは24試合に出場しうち15試合で先発、1575分プレーし2アシストを記録した。チームもレギュラーシーズンに優勝し、日本人として初めてサポーターズシールドを獲得したが、MLSカップではクォーターファイナルで敗れ、木村の出場機会もなかった。 2014年シーズンもニューヨークに残留し、13試合に出場し10試合で先発、884分出場し3アシストを記録した。 2015年、ポーランド2部リーグのヴィジェフ・ウッチに移籍。 2015年、NASL(北米サッカーリーグ)のアトランタ・シルバーバックスへ移籍。 2016年、同リーグのラーヨOKCへ移籍、主力として活躍するもクラブは1年で解散。 2017年、USLプロフェッショナルリーグのタルサ・ラフネックスFCに移籍。 2018年、同リーグのナッシュビルSCに移籍。 2019年12月でナッシュビルSCを退団[6]。 2020年、ナッシュビルSCU-13のヘッドコーチに就任。 2022年、ナッシュビルSCのアシスタントコーチに就任。 所属クラブ
個人成績
脚注
関連項目外部リンク
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