朝鮮総督府財務局(ちょうせんそうとくふざいむきょく)は、朝鮮総督府に置かれた内部部局。
本項では、前身である朝鮮総督府度支部(たくしぶ)についても触れる。
沿革
1910年(明治43年)10月1日、韓国併合にともない朝鮮総督府が設置されると、度支部が置かれた。度支部には庶務課・税関工事課の2課および司税局・司計局の2局が置かれた。1915年(大正4年)3月31日、行政簡素化のために2局が廃止されて課となり、部長官が各課の事務を指揮することとなった。
1919年(大正8年)8月20日の朝鮮総督府官制改正(勅令第386号)により、度支部は財務局に改められた。
機構
1941年(昭和16年)9月1日現在。
- 財務局
- 税務課
- 土地調査課
- 司計課
- 理財課
- 管理課
- 税務官吏養成所
このほか、総督府所属官署として、税務監督局(税務署)、税関などが置かれた。
歴代局長
財務局長(度支部長官を含む)
氏名
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在任期間
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備考
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(朝鮮総督府)度支部長官
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荒井賢太郎
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1910年(明治43年)10月1日 - 1917年(大正6年)6月6日
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鈴木穆
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1917年(大正6年)6月6日 - 1919年(大正8年)8月20日
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(朝鮮総督府)財務局長
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河内山楽三
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1919年(大正8年)8月20日 - 1922年(大正11年)7月3日
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和田一郎
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1922年(大正11年)7月3日 - 1924年(大正13年)8月13日
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草間秀雄
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1924年(大正13年)8月13日 - 1929年(昭和4年)11月8日
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林繁蔵
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1929年(昭和4年)11月8日 - 1937年(昭和12年)10月30日
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水田直昌
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1937年(昭和12年)10月30日 -
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日本統治下最後の局長
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度支部司税局長
氏名
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在任期間
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備考
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鈴木穆
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1910年(明治43年)10月1日 - 1915年(大正4年)3月31日
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鈴木穆
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1915年(大正4年)3月31日 - 1915年(大正4年)4月1日[1]
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兼任[2]
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度支部司計局長
氏名
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在任期間
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備考
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荒井賢太郎
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1910年(明治43年)10月1日 - 1915年(大正4年)3月31日
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度支部長官(兼任)
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脚注
- ^ 朝鮮総督府官制中改正により廃官。『官報』第828号、大正4年5月8日。
- ^ 『官報』第797号、大正4年4月1日。
参考文献
- 朝鮮総督府編『施政三十年史』(朝鮮総督府、1940年)
- 朝鮮総督府編『朝鮮事情 昭和十七年度版』(朝鮮総督府、1941年)
- 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』(東京大学出版会、1981年)
関連項目