朝鮮民主主義人民共和国主席
朝鮮民主主義人民共和国主席(ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこくしゅせき)は、朝鮮民主主義人民共和国の国家元首。1972年に設置され、1998年に廃止された。通称は国家主席。 概要1972年12月27日、最高人民会議第5期第1回会議において朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法(1972年憲法)が制定され、国家元首として朝鮮民主主義人民共和国主席の職が新設された。国家主席は憲法の規定によって国政の最高指導者としての権限を保障された。 翌日、朝鮮労働党中央委員会総書記・内閣首相であった金日成が国家主席に就任した[1]。なお、国家主席職設置以前は、最高人民会議常任委員会委員長が形式上の朝鮮民主主義人民共和国の元首であったが、実権は労働党総書記兼首相にあった。同国の建国以来、国家主席職設置まで、金日成が一貫して首相の地位にあったため、金日成が最高権力者として国家を統治するという政治構造に変わりはなかったのである。 選出規定最高人民会議によって選出され、再選制限は無かった。任期は1972年憲法では4年だったが、1992年の憲法改正で5年に改められた。 職責1972年憲法では、行政・経済に至るあらゆる国家事業を指導し、軍の統帥権の掌握と朝鮮人民軍最高司令官・国防委員会委員長の兼務が保障されるなど、国家主席には強大な権限が付与されていた。しかし、1992年憲法では軍の統帥権が国家主席から国防委員長に委譲され、1993年4月9日に金正日が国防委員長に就任したことによって権力の分散が行われた。その結果、国家主席の権限は弱体化した。 歴代主席
国家副主席国家主席を補佐する官職として、国家主席と同時に1972年12月28日に設置。国家副主席は最高人民会議において、出席議員の過半数の賛成により選任される。国家主席から委任された職務を執行し、国家主席を欠く時は国家主席代理となっていた。1998年に国家主席制度の廃止とともに、国家副主席も廃止となった。 副主席の一覧
国家主席の職権・任務1972年憲法
1992年憲法
歴史国家主席職新設にいたった背景には、南北対話で金日成(内閣首相)のカウンターパートが韓国では大統領ではなく国務総理になってしまうこと、金日成の権力基盤が固まり朝鮮労働党へのそれまで以上の権力集中が不必要となったこと、などが考えられる。さらに朴正煕が南北共同声明直後、第四共和国憲法により維新体制を実現したことも、大きな影響を与えたとみられる。 国家主席創設後、金日成の権力基盤は自ら主宰する中央人民委員会へと移った。また朝鮮労働党では、金正日が組織指導部で活動を始めており、「党中央」と呼称されるようになり、党を基盤に権力掌握へと乗り出していく。その一方、外交・国防を含めた最高行政機関であった内閣は「政務院」に改組され、中央人民委員会の決定に従う行政執行機関へと変質した。 1972年12月27日に設置されて以来、金日成は1994年7月8日に死去するまでその職にあった。金日成の死後、国家主席は空席となり、憲法上の職務は国家副主席の朴成哲が代行したが、事実上の最高指導者としての地位は国防委員長の金正日が占めていた。 1998年9月5日の最高人民会議第10期第1回会議で憲法が改正され(1998年憲法)、国家主席制は廃止された。同憲法の序文には「金日成同志を永遠なる主席として高く戴き…」と明記され、国家主席をいわば永久欠番とし、それに代わる国家元首は明記されなかった[5]。 脚注出典
参考文献
関連項目外部リンク
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