朝鮮人民軍総政治局朝鮮人民軍総政治局(ちょうせんじんみんぐんそうせいじきょく、朝鮮語:총정치국)は、朝鮮人民軍の政治査察機関。朝鮮人民軍将兵に対する宣伝、煽動に重点を置き、日常的な党性、忠誠心評価、思想的動向を監視する。「反革命分子」を摘発する機関である朝鮮人民軍保衛司令部と共に人民軍内将兵の思想統制を管轄する。
概要総政治局は、形式上、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)政府組織である国防省所属だが、朝鮮人民軍総参謀部と並んで国防省より強大な権限を有し、国防相より高位の最高位人物が総政治局長に就任している。実際には支配政党である朝鮮労働党中央委員会組織指導部第1部第13課(人民武力省担当)から直接指揮を受ける。 1946年8月15日、保安幹部訓練大隊部が創設された際、傘下に総参謀部・砲兵司令部・後方部とならんで文化部が置かれた[1]。大隊部副司令官兼文化副司令官には金一が任命された[2]。保安幹部訓練大隊部は1947年5月17日に人民集団軍総司令部へ発展[3]。金一は副司令官兼文化副司令官に留任した[4]。1948年2月8日、正式に朝鮮人民軍が創設され、人民集団軍総司令部は人民軍総司令部に再編された[5]。この時も金一は副司令官兼文化副司令官に留任し、文化部長には高麗人の金日が任命された[6]。同年9月9日、朝鮮民主主義人民共和国の建国とともに北朝鮮人民委員会民族保衛局が民族保衛省に昇格した[7]。人民軍総司令部は民族保衛省に吸収され、金一は民族保衛省副相兼文化訓練局長、金日は文化訓練局副局長に任命された[8]。朝鮮戦争中の1950年10月21日、朝鮮労働党中央委員会及び政治局の決定により、民族保衛省文化訓練局は人民軍総政治局に改編された。当時、金一は失脚しており、初代総政治局長には南労党派の朴憲永が任命された。しかしこの事実は朴憲永の粛清とともに歴史から抹消された[9]。 2017年11月20日、大韓民国国家情報院は、朝鮮労働党指導部が朝鮮人民軍総政治局の「不純な態度」を問題視し、20年ぶりに総政治局の検閲が行われていることを報告。黄炳瑞局長や金元弘第1副局長らが処罰を受けたという情報も明らかにした[10]。2018年2月9日、朝鮮中央通信が前日の軍事パレードを伝える報道の中で、金正覚を朝鮮人民軍総政治局長の肩書で紹介し、黄炳瑞の総政治局長解任と金の就任が確認された[11]。 機構総政治局の各部長は少将~中将階級で、副部長は少将、課長は大佐級である。
総政治局は、傘下に総参謀部と対称的な下部機構を組織している。即ち、軍種司令部政治部、軍団政治部、師団政治部、旅団政治部、部隊政治部、区分隊政治部、中隊政治指導員が置かれている。 歴代総政治局長
脚注
参考文献
関連項目 |
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