望月惇志
望月 惇志(もちづき あつし、1997年8月2日 - )は、神奈川県横浜市港南区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 経歴プロ入り前5歳で野球を始めると、横浜市立芹が谷小学校時代は「東芹が谷ジュニアフェニックス」に、横浜市立芹が谷中学校時代は「横浜南ボーイズ」にそれぞれ所属。 横浜創学館高校に進学すると、2年春からベンチ入り[1]。3年時にはストレートで最速148km/hを計測した[2]が、在学中には春夏とも甲子園大会へは出場できなかった[1]。1学年先輩に福田俊がいる。 2015年10月22日に行われたドラフト会議では、阪神タイガースから4位指名を受け[1]、契約金4000万円、年俸500万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は61[3]。 プロ入り後2016年、春季キャンプから二軍で育成。6月9日にオリックス・バファローズとのウエスタン・リーグ公式戦(阪神鳴尾浜球場)で先発投手として実戦デビューを果たすと、5回無失点の好投でプロ初勝利を挙げるとともに、ストレートで151km/h(当時の自己最速記録)を計測[4]。同リーグ公式戦14試合の登板で、5勝3敗(1完投)、防御率3.84という成績を残した。9月30日にプロ入り後初の出場選手登録を果たすと、翌10月1日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦(阪神甲子園球場)で、6点リードの9回表に4番手投手として一軍公式戦にデビュー。最初の対戦打者ギャレット・ジョーンズに投げ込んだストレートで、自己最速記録を153km/hにまで更新。結局、1回を無失点に抑え、福原忍の引退試合でもあったチームのレギュラーシーズン最終戦を継投による完封勝利で締めくくった[5]。シーズン終了後の秋季キャンプでは蓄積疲労によって右肘を負傷[6]。ノースローによる調整を余儀なくされた。 2017年、教育リーグ中にストレートで155km/hを計測したものの[7]、レギュラーシーズン開幕後の4月に腰痛を発症。長期にわたる療養を強いられ[6]、8月に実戦へ復帰すると、ウエスタン・リーグ公式戦で14試合に登板。5勝(1完投勝利)3敗、防御率3.84という成績を残した。一軍公式戦への登板機会はなかった。シーズン終了後に参加したフェニックスリーグでは155km/hを計測[7][8]。フェニックスリーグ終了後に秋季キャンプへ参加したが、再び腰痛を訴えたため[9]、12月19日に腰部ヘルニアの手術を受けた[10]。 2018年、前年に受けたヘルニア手術の影響で、春季キャンプから6月末までは、二軍での調整に専念していた[11]。7月3日の対中日ドラゴンズ戦(甲子園)8回表から2年ぶりの一軍公式戦登板を果たすと、5者連続奪三振を記録[12]。同リーグ選抜の一員として初出場した7月13日のフレッシュオールスターゲーム(はるか夢球場)では、9回表の救援登板で155km/hを2度計測し、イースタン・リーグ選抜の高卒新人クリーンアップ(清宮幸太郎・村上宗隆・安田尚憲)を三者凡退に抑えた[13]。後半戦は一軍の救援陣に定着。一軍公式戦全体では、37試合に登板して防御率4.20を記録したが、初勝利や初セーブを挙げるまでには至らなかった。シーズン終了後の秋季キャンプでは、才木浩人・浜地真澄とともにMVPへ選ばれた[14]。 2019年、プロ入り後初めて一軍の沖縄春季キャンプに参加すると、主に先発で実戦登板を重ねた[15]、オープン戦ではストレートで自己最速の159km/hを計測したものの、制球難を露呈した[16]ため、開幕一軍入りには至らなかった[17]。4月4日の対巨人戦(東京ドーム)に救援投手として一軍公式戦でのシーズン初登板をしたが、3回を投げて2被本塁打3失点という内容で、翌5日に出場選手登録を抹消された[18]。抹消後には、7月中旬の時点でウエスタン・リーグトップの防御率2.43を記録するなど先発で好投[17]。7月17日の対中日戦(豊橋市民球場)で一軍公式戦の先発マウンドを初めて経験[19]すると、先発と救援で併用されながら、8月22日の対DeNA戦(京セラドーム大阪)で一軍公式戦での初勝利を先発で記録した[20]。レギュラーシーズンでは一軍公式戦8試合の登板で1勝を挙げただけだったが、チームがシーズン3位で迎えたクライマックスシリーズ(CS)では、10月9日に巨人とのファイナルステージ第1戦(東京ドーム)で先発に抜擢された。1回裏に2者連続で本塁打を打たれるなど、2回5失点という内容で降板した末に黒星を喫したが、一軍監督の矢野燿大は「望月に(大一番での)経験を積ませられるなど、ある意味でチームにとって必要な負け」と前向きに評価した[21](その後チームはCSで敗退)。 2021年は、2017年以来4年ぶりに一軍登板はなく、二軍でも17試合の登板で0勝3敗、防御率9.25であった[22]。12月2日に自由契約となり[23]、12月10日に育成選手として再契約[24]。550万減となる推定年俸600万円となり[25]、背番号も124に変更された[25]。 2022年は、ウエスタン・リーグでの登板数は2試合のみに留まり[26]、9月8日には「右肩関節唇修復術」を受けた[27]。 2023年は、6月14日に術後初めてシート打撃に登板すると[28]、7月22日に行われた石川ミリオンスターズとの練習試合で実戦に復帰[29]。ウエスタン・リーグでは13試合に登板したが、0勝1敗、防御率8.74に終わり[30]、10月3日に戦力外通告を受けた[31]。その後、11月9日までに現役引退を決断した[32]。 現役引退後2024年からはタイガースアカデミーのコーチに就任する[33]。 選手としての特徴・人物190cmの長身から繰り出す角度のある最速159km/h[15]のストレートが持ち味で、スライダー、スプリットを投げ分ける[34]が、変化球の精度と直球の質が安定していないこと[35]や、制球力とフィールディングが課題[36]となっている。 目標の選手は藤川球児で、ストレートの質と投球フォームを参考とし[37]、プロ入り後は藤川と同じくザナックスのグラブを使用[38]。高校時代には、自由研究のテーマに、藤川が投じるストレートの回転数を選んでいた[36]。 2021年1月13日、一般女性と結婚[42]。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
記録
背番号
登場曲
脚注出典
関連項目外部リンク
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