旭川家具旭川家具(あさひかわ かぐ)は、北海道旭川市と上川郡東川町や東神楽町など近郊地域の家具メーカーが製造している家具の総称。 概要北海道は森林が豊かである。これを生かして旭川地域では家具や木材、木製品(木器)に関係する企業が集積しており[1]、北海道内の一大家具産地になっている[2]。 旭川家具ブランドの特長は「良質な木材」と「デザイン性の追求」にあり、1990年(平成2年)から始まった家具のトリエンナーレ「国際家具デザインフェア旭川」(IFDA)では世界レベルのデザイン・コンペティションを実施。試作や製品化を手掛けることで、技術と感覚を磨きながら若手デザイナーを家具業界へ送り出す一助を担っている。 歴史1890年(明治23年)、旭川に木挽場が完成し、1898年(明治31年)に鉄道が開通して1899年(明治32年)に札幌市から第七師団の移駐が始まると[3]、本格的なまちづくりのため日本国内から木工職人が旭川へ移住してきた。旭川近郊には大雪山系の深い原生林があり、豊富で良質な森林資源があった[2]。冬に雪が降り積もる地域なので天然乾燥ができず木工芸に適さないとされていたが、 人工乾燥機が普及すると大量出荷が可能となった[2]。1913年(大正2年)、冷害により北海道内の農業が凶作に襲われると、旭川区(当時)は木工伝習所を開設して木工業の発展を促した。第一次世界大戦の戦時需要によって旭川の木工業は発展したが[3]、昭和恐慌や第二次世界大戦(太平洋戦争)になると家具の生産が減少した[3]。 戦後、旭川では新しい技術を取り入れることが遅れて、生産や加工技術が伸び悩んでいた[1]。札幌などで進駐軍の宿舎や娯楽施設の建設が始まると、旭川家具に多くの受注が割り当てられるようになる[3]。1949年(昭和24年)に国指定の「重要木工集団地区」12地域に北海道内で唯一旭川が指定を受けた[3]。1950年(昭和25年)に北海道林業指導所(現在の北海道立総合研究機構森林研究本部林産試験場)が旭川に設置[3]。1955年(昭和30年)に市立の試験機関として木工芸指導所(現在の旭川市工芸センター)を開設[4]。当時は珍しかった産地での展示販売会「旭川木工祭り」(後の「旭川家具産地展」、現在の「ASAHIKAWA DESIGN WEEK」)を開催した[5][1][6]。また、旭川家具は食器棚や箪笥など婚礼家具を中心に北海道外へ進出していった[7]。昭和50年代になると生活様式(ライフスタイル)の変化とともに箪笥などいわゆる“箱もの”需要が減り、椅子など“脚もの”への転換やデザインの追及が求められるようになった[7]。この頃の旭川家具は、重厚長大で高級家具というイメージであった[8]。そこで、旭川家具の技術力と世界の優れたデザインを融合させて付加価値を高めるため、1990年(平成2年)に「国際家具デザインフェア旭川」(IFDA)を開催[8]。旭川開基100年記念事業の1つとして開始以来[7]、3年に1度開催している。旭川家具は大量生産から多品種少量生産や受注生産へ変わっていき[7]、新しい感覚とイメージ一新に取り組みつづけている。イタリアの国際家具見本市「ミラノサローネ」や世界最大級の国際家具見本市であるドイツの「ケルンメッセ」、中国の「中国国際家具展覧会」などの海外展示会にも出品している[8]。 家具メーカーかつては300社ほどあった家具メーカーも、現在は110社ほどになっている[2]。 ※50音順
協同組合
旭川デザインセンター
旭川デザインセンターは、北海道旭川市にある展示場・販売店。旭川近郊の家具メーカー製品を常設展示・販売しているほか、インテリアデザインやレストア(修理・再生)の相談も受け付けている。また、毎年6月に開催する「ASAHIKAWA DESIGN WEEK」や3年ごとに開催する「国際家具デザインフェア旭川」(IFDA)などのイベント会場になっている。 2017年6月リニューアル。 旭川・家具づくりびと憲章旭川家具工業協同組合が木を大切にする気持ちを示してより質の高い家具づくりを目指すため、2007年(平成19年)に「旭川・家具づくりびと憲章」を制定した[4]。
脚注
参考文献
外部リンク
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