日立バイパス
日立バイパス(ひたちバイパス)は、茨城県日立市国道6号のバイパス道路である。 概要慢性的となっている日立市内の国道6号と国道245号の渋滞緩和を目的として計画・着工された道路で、日立市の北部から中部にかけて、商店や住宅および、工場が密集する市街地を避けて、ほぼ太平洋の海岸線に沿って建設されている。一部区間は、高速自動車国道等ではない一般道としては全国的にも珍しい海上高架橋となっている[1]。2011年の東日本大震災の津波にも耐え、地震で寸断された交通網を支える重要な役割を果たしている[1]。 路線データ
施設
歴史日立市は、明治時代より日本有数の銅鉱山であった日立鉱山の開発で急速に発展してきた街で、首都圏にも近く日本国有鉄道(国鉄)常磐線もあったため人口も急増し、銅鉱山で使われる機械の修理部門が独立した日本を代表する企業グループ日立製作所を擁する企業城下町として発展してきた[6]。もともと日立市の可住地域は、海岸に迫る久慈山地の丘陵地が大部分を占めて平地部分は少なく、鉱工業の発展によって平地部には工場と商業地、山腹の丘陵地には住宅が埋め尽くすように建ち並び、昭和の高度経済成長期を前後して県庁所在地の水戸市を抜いて県下で一番人口が多い都市にまで発展した。市街地の中心を南北に縦貫する幹線道路である国道6号は、工場から出る大型車両などの通行も加わり慢性的な交通渋滞が大きな課題となっていったが、工場や住宅、商店街の過密地域のなかを通過しているために、道路の拡幅は困難で、山側の住宅地を避けてトンネルを掘削しようにも、いくつも掘られた鉱山の坑道跡が妨げとなり、渋滞問題はいつになっても解決の目処が立たないという状況に喘いでいた[7]。 この状況を打開するために、海岸線に沿った海上に国道6号のバイパス道路を建設する計画が持ち上がったのは1977年(昭和52年)のことである[7]。1994年(平成6年)に市街北部の地上部分0.5 km区間が開通するものの、そこから南進する海岸線から先の海上道路部は漁業権の補償問題やアクセスするルートの調整などでバイパス建設は難航し、2000年代に入ってから本宮町 - 旭町間が暫定2車線で開通した[7]。2011年(平成23年)3月に発生したマグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震にも耐え抜いてきたが、日立バイパスは計画から40年以上が経過した現在も北側半分しか開通していない未完のバイパス道路となっている。海中の橋脚部分が波による浸食でダメージを受けていることが判明したことが、南側半分の延伸区間の工事着手を踏みとどませた要因とされている[8]。 旭町 - 河原子町間については2007年(平成19年)に市民参画での日立道路再検討プロジェクトが開始され、2010年(平成22年)に日立バイパスの再検討結果がとりまとめられるとともに、翌2011年(平成23年)に国土交通省常陸河川国道事務所と茨城県は日立市と調整を行い、旭町 - 河原子町間の概略計画を確定させた。日立バイパスの都市計画変更に着手していく予定となっている[9]。 年表
交通量平日24時間交通量(台)
平成17(2005)年度:日立市東滑川町3丁目 13,327 愛称市民からの公募により、日立シーサイドロードという愛称となっている。 脚注
参考文献
関連項目外部リンク |