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日相 (大石寺)
日相
(にっそう、
1759年
(
宝暦
9年) -
1806年
1月22日
(
文化
2年
12月3日
))は、
大石寺
第43世
法主
。
略歴
1759年
(
宝暦
9年)、
陸奥国
宮城郡
南宮に誕生。父賀川権八。
1770年
(
明和
7年)、
日穏
の室に入る。12歳。
1772年
(
安永
元年)、
細草
に入檀す。
1788年
(
天明
8年)9月23日、父浄性坊日顕寂。
1795年
(
寛政
7年)春、細草76代の化主となる、秋退檀。
1796年
(寛政8年)3月、
陸奥国
仙台
に下向、
日量
随行す。夏、
江戸
常泉寺
の
住職
を務める。
1797年
(寛政9年)、江戸常泉寺の文庫・土蔵を再建。
1798年
(寛政10年)春、江戸常泉寺本堂を修理し地形四尺を築く。8月彼岸、佛神道相対を著す。冬、江戸常泉寺本堂の落成供養を修す。
1799年
(寛政11年)春、大石寺25代学頭となる。37世
日琫
より法の付属を受け、43世日相として登座。11月7日、大坊に入る。
1801年
(
享和
元年)春、大坊・五重宝塔修覆。
1804年
(
文化
元年)春、寿命坊客殿を南面に修覆す。秋、仙台洞ノ口法難見舞のため陸前へ下向、
日誠
随行10歳冬帰山。
1805年
(文化2年)春、江戸小梅常泉寺に移る。12月3日、江戸常泉寺に於いて47歳にて死去した。
先代
日厳
大石寺住職一覧
次代
日宣