日比谷U-1ビル
日比谷U-1ビル(ひびやユーワンビル)は、東京都千代田区内幸町一丁目、帝国ホテルの隣にあった超高層ビルである。旧称はNBF日比谷ビル。大和生命保険(現:プルデンシャル ジブラルタ ファイナンシャル生命保険)が建設し、完成当初は大和生命ビルと称した。再開発が計画されているため、閉鎖となり、2022年(令和4年)9月から解体されている。 歴史この地には江戸時代には薩摩藩の装束屋敷があり、加賀藩の赤門に対する黒門が設えられ、明治時代には鹿鳴館が置かれた。昭和に入ると、大和生命の前身である日本徴兵保険に払い下げられ、黒門や鹿鳴館の建物を残したまま、ルネサンス調の3階建の社屋が建てられた。1940年(昭和15年)に鹿鳴館は老朽化のため取り壊され、黒門も第二次世界大戦の戦災で焼失した[2]。 大和生命ビル1984年(昭和59年)6月、旧本社跡地に竣工した。日比谷通り沿いに並ぶ帝国ホテル、日比谷電電ビル(現:NTT日比谷ビル)、第一勧業銀行本店ビル(現:みずほ銀行内幸町本部ビル)とともに建物を歩道から5m以上離す建築協定を結んでいたが、この協定をはるかに上回る30mのセットバックにより、広い前面広場を確保した[2]。 この広場にはアメリカカエデなどの紅葉植物が植えられ、日比谷公園と向かい合うポケットパークとして親しまれ、彫刻家・井上武吉の制作で球体のモニュメントも設置された[2]。 建物表面は、帝国ホテルの客室に面した北側を除き、3.2×1.2mのガラス数千枚を合わせたハーフミラー仕上げとなっている。 2度の譲渡1998年(平成10年)に不動産証券化され、05年9月、本業の保険事業の収益が落ちていた大和生命が、不動産の保有リスクを減らし財務体質を改善することを狙い[3]、三井不動産系の日本ビルファンド投資法人に「大和生命ビル」の信託受益権を635億円で譲渡した[4]。 2007年(平成19年)夏の金融危機の煽りで大和生命は経営不振が深刻化し、翌年10月、自力再建を断念。東京地裁に更生特例法の適用を申請し経営破綻した[5]。これに伴い、09年8月1日、名称は「NBF日比谷ビル」に改められている[6]。 2018年(平成30年)3月30日、日本ビルファンド投資法人は三井不動産にNBF日比谷ビルを640億円で譲渡し[7][8]、同日付けで、名称は「日比谷U-1ビル」に再度改められた[9]。 再開発へ三井不動産など10社が「内幸町一丁目街区開発プロジェクト(TOKYO CROSS PARK構想)」に着手するため、ビルは閉鎖され、2022年(令和4年)9月から鹿島建設の施工で解体されている[10]。 テナント大和生命ビル時代から、マツダが東京本社を置いていたが[2]、2019年(令和元年)12月、霞が関ビルに移転[11]。ほかにNTT系企業(NTTデータジェトロニクス等)も本社を置いていた。 脚注
参考文献
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