日本空飛ぶ円盤研究会
日本空飛ぶ円盤研究会(にほんそらとぶえんばんけんきゅうかい、Japan Flying Saucer Research Association: JFSA)は、日本最初の空飛ぶ円盤・UFOの研究団体。 太平洋戦争で日本陸軍航空隊でレーダー装備を担当し、戦後は大蔵省印刷局に勤務していた荒井欣一(後にピー・プロダクションの庶務課長にもなっていた)が中心となり、1955年(昭和30年)に設立された。国内外の情報を収集する研究活動や講演活動、機関誌『宇宙機』の発行を行う傍ら、その後の日本で設立されたUFO研究団体と関わりを持ち、影響を与えた[1]。 顧問には北村小松、糸川英夫、徳川夢声、石黒敬七らがいた[2][3]。最盛期には約1,000名を超える会員を擁し、三島由紀夫(会員番号12)や石原慎太郎(会員番号169)らが参加し、著名人ではほかに星新一・黛敏郎・黒沼健・森田たまらが会員であった[3]。客員会員として荒正人や新田次郎、平野威馬雄らも加わっていた。また、会員の柴野拓美による日本初のSFファングループである「科学創作クラブ」(のち宇宙塵)を生み出したことでも知られている。 会に集まった動機について、星新一は
と語っている[4]。 1960年代から団体としての活動は低下したが、荒井欣一は2002年(平成14年)に死去するまで活動を続けた。 脚注参考文献
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