斎藤常三郎 (陸軍軍人)
斎藤 常三郎(旧字体:齋藤 常三郎、さいとう つねさぶろう、1873年〈明治6年〉11月14日 - 1921年〈大正10年〉10月7日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級、功三級[2]。 経歴・人物愛知県出身[1][2]。1895年(明治28年)陸軍士官学校第6期卒業[1][2]。1901年(明治34年)陸軍大学校第15期を優等で卒業[1][2]。 日露戦争に従軍し、大本営参謀などを歴任後、1915年(大正4年)2月に陸軍歩兵大佐・参謀本部戦史課長、1917年(大正6年)5月に歩兵第80連隊長、1918年(大正7年)7月に陸軍大学校兵学教官、1919年(大正8年)4月に陸軍少将・歩兵第5旅団長を経て、1921年(大正10年)7月に待命[1][2]。同年10月に急逝した[1]。 栄典
脚注参考文献
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