斉田博
斉田 博(さいだ ひろし[1][2]、1926年(大正15年) - 1982年(昭和57年)10月15日)は日本のアマチュア天文家、著述家。1970年代前半から死亡する1982年まで、天文分野、特に天文学史に関する数多くの著書を残した。 略歴1945年、金沢工業専門学校(現・金沢大学工学部)電気科卒業[3]。日本天文研究会[1]、東亜天文学会[1]、日本天文学会[2]、イギリス天文協会(英語: British Astronomical Association) (BAA)[1]、太平洋天文学会(英語: Astronomical Society of the Pacific)[2]会員。1982年10月15日没。 業績アマチュア天文家として流星の観測で活躍後、天文学史に傾倒し[3]、数多くの欧米の文献から天文学に関わる様々なエピソードを類書には見られないほど詳細に解説するとともに、功績を残した天文家たちの人間性までをも探求した[4]。 地人書館から発行されていた月刊『天文と気象』(後の『月刊天文』)の1971年3月号より「おはなし天文学」を連載した。この連載は好評を博し、彼が死亡する1982年10月号まで11年以上にわたって掲載され、のちに4巻本に単行本化された。単行本は連載作の選集になっており、1973年10月刊の第1巻では太陽系の内側を太陽から火星までを扱い、同年12月刊の第2巻ではその外側の小惑星から冥王星、更に彗星・流星が取り上げられている。1975年6月刊の第3巻は地球と月そして日食と隕石、1978年6月刊では外惑星の環や実在しなかった惑星や衛星などが登場する。著者没後の1984年には「おはなし天文学」シリーズには未収録だったものが、『星を近づけた人びと』と題する2巻本として、1976年連載以降のものを太陽系外の恒星を中心としてまとめられている。また、1980年には星座をテーマとした『おはなし星座教室』を「天文と気象別冊」として出した(ペーパー・バック)。同書は、同年中に単行本化された(判型は同じだがハード・バックになった)。 また、季刊『星の手帖』に創刊号の1978年から1982年に出た第17号まで「天文意外史」を連載した。第11号のみ休載で、第18号には連載記事ではなく斉田本人の訃報が掲載された。 他界する直前まで病床でありながら、ロバート・バーナム Jr による3巻からなる星座解説書 Celestial Handbook を『星百科大事典』として翻訳していた。同書は死後の1988年には訳者不在のため、天文学者の鈴木敬信によってデータが改められた改訂版として発刊されている。また、やはり死後の1982年11月に刊行された『星の年表』の最終ページは、
と、21世紀初頭に勃興したマルチメッセンジャー天文学を見据えた文章で締めくくられており、彼の高い見識と先見の明を示している。 作品著書
訳書
脚注参考文献
外部リンク
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