文馬養
文 馬養(ふみ の うまかい)は、奈良時代の貴族・歌人。名は馬甘とも書く。カバネは忌寸。左衛士府督・書根麻呂の子。 経歴元正朝の霊亀2年(716年)父・根麻呂の壬申の乱での功労により、墾田を与えられた(この時の位階は正七位下)[1]。 天平9年(737年)に外従五位下次いで外従五位上に続けて昇叙される。のち聖武朝では主税頭・筑後守を務めた。 孝謙朝の天平勝宝9歳(757年)鋳銭長官に任ぜられ、翌天平宝字2年(758年)淳仁天皇の即位に伴って内位の従五位下に叙せられている。 和歌に通じ、「さを鹿の きたちなく野の 秋はぎは つゆ霜おひて 散りにしものを」と他1首を『万葉集』に残している。 官歴『続日本紀』による。
脚注
参考文献 |