振り飛車振り飛車(ふりびしゃ)は、将棋の二大戦法の一つ。序盤において、初形で右翼にある大駒の飛車を左翼へ展開するもの。この反対は居飛車で、飛車を右翼の定位置の筋のまま攻める。 振り飛車が居飛車と戦う戦型は対抗型と呼ばれる。両対局者が共に振り飛車にすると相振り飛車となり、対抗型とは異なる展開となるが、本項では対抗型における振り飛車を中心に記述する。 概要振り飛車は飛車を動かす場所により、中飛車・四間飛車・三間飛車・向かい飛車の4つに大別される。
振り飛車側は、これらの飛車を振る筋に応じて様々な戦法がある。特に、どの筋に飛車を振る場合でも、角交換を防ぐために角道を閉じて駒組をする角道クローズドと、必要なときに角交換できるように角道を開けたままにして角交換を利用して駒組をする角道オープンと、どちらにするかを選択することができる。そして角道クローズドでは途中から角道を開けて角交換を迫る振り飛車と角を交換せずに捌いて指す振り飛車とに、角道オープンでは角交換をせず角道を開けたまま主導権を握って駒をさばいていく振り飛車と、振り飛車側から角交換をして駒組を進める振り飛車とに選択が可能である。角道オープン・角交換振り飛車や、角道クローズドで角道をあけ交換を迫る指し方は、居飛車穴熊など角交換を避ける対振り飛車戦法が台頭してきたため、こうした現象が起こることになった。穴熊側が角交換を避けるのは、陣形的に大駒の打ち込みに弱く、また重要な攻防の駒が交換によって盤上から消える状態になるのは戦法の特質を損なうことになるためである。このため、ノーマル系の陣においても振り飛車が角道が開いた状態で相手の陣を角が睨んで指すことが可能となっていった。 なお、上図では戦型について理解しやすいように角道クローズドのノーマル系▲6七銀型を記載した(角交換系については角交換振り飛車の記事を参照)。 △居飛車 持ち駒 なし
歴史黎明期振り飛車がいつごろ考案されたのかについては分かっていない。しかし将棋史上最も古い棋譜である、初代大橋宗桂対本因坊算砂の対局で既に振り飛車(二枚銀向かい飛車)が指されていることから、少なくとも江戸時代初期からある戦法ということは分かっている。尤も江戸中期以降は平手で指すのは損な戦法と考えられており、もっぱら駒落ち(特に左香落ち)で弱点となる左辺を守るための戦法として使われていた。 昭和時代大山・升田時代昭和になって振り飛車をプロの一線級に復活させたのが大野源一である。大野は独自の研究により、振り飛車が平手でも通用することを明らかにした。さらに大野の弟弟子の升田幸三、大山康晴両巨頭らがこれを流行させ、振り飛車は再びプロの戦法として認識されるに至った。特に、升田は、升田式石田流を考案し、後に流行する角交換も辞さない攻撃的振り飛車の魁となった。 振り飛車が一躍脚光を浴びたのは、左辺に飛角を集めることで右辺で自玉を効率的に守れる(短手数で固い美濃囲いが構築できる)こと、角筋で敵玉方向を睨んでいるので居飛車側が簡単に固い囲いを構築できないこと、互いの玉が互いの飛車から遠い側に囲われるので相居飛車とは異なり一度の攻めで勝負が付くことはないことなどのメリットがあるためである。がこれらのメリットゆえに、振り飛車側は、相手に攻めさせて、その反動で駒を捌いていけば(「捌く」とは、駒をよく働かせることを指す将棋の専門用語である。盤上の駒を持ち駒にすることによって働きが増すと考えられる場合は、駒を交換することもまた「捌き」の一つである)、最終的に玉の堅さを活かして勝つことができるというものであった。また居飛車に比べて覚えるべき定跡が少ないという点もアマチュアに受け、「振り飛車党」と呼ばれる遣い手たちが棋界を席巻した。 居飛車穴熊・左美濃による苦境しかしその後居飛車党の田中寅彦や南芳一らによって、仕掛けの権利を握ったまま振り飛車側の美濃囲いと同等以上に固く囲うことを可能にし、振り飛車のカウンターを封じる居飛車穴熊や左美濃が普及し、単純な捌き合いでは勝てないことが増えたことから、振り飛車党の棋士は一時なりを潜めた。故にこれ以降の振り飛車は、前述のような戦い方だけではなく、居飛車穴熊をいかに克服するかをテーマに多様な戦い方をする戦法となっている。 平成時代藤井システム・ゴキゲン中飛車の登場(1990年代~2010年代前半)居飛車穴熊・左美濃の対策として注目を集めたのが、藤井猛が考案し、1998年に竜王位を奪取する原動力となった四間飛車の藤井システムである。藤井システムは、居飛車穴熊囲いが組まれる寸前に総攻撃を仕掛けるという攻めの戦法であり、カウンターを狙う受けの戦法と考えられていた振り飛車の概念を覆し、「振り飛車の革命」と呼ばれた。 また藤井システムと前後して角交換も可能な「攻める中飛車」と呼ばれるゴキゲン中飛車が台頭してからは中飛車も流行するようになり、その流行ぶりは居飛車党が後手番で主導権を握るための戦術として採用するほどであった。従来振り飛車では、角は敵玉を睨むと同時に相手の飛車先を受けるために使っているため、角交換は損とされていた。しかし、居飛車穴熊への対抗策として、駒が偏るので打ち込みの隙が多いという穴熊の弱点をつくために角交換を可能にしたのがゴキゲン中飛車の特徴である。 その後も居飛車穴熊対策として、升田式石田流を改良した新石田流・角交換四間飛車・ダイレクト向かい飛車などの角道を止めずかつ積極的に角交換していく振り飛車が注目され、プロの振り飛車党の間で流行した。 横山泰明、戸辺誠など若手の振り飛車党が急増したのに加え、居飛車党である佐藤康光や深浦康市が飛車を振るようになるなど振り飛車の勢力が拡大。さらに将棋界の第一人者である羽生善治がタイトル戦という大舞台でも後手番で振り飛車を選択するケースが増えた。 こうした対抗系を前提に振り飛車党を名乗る棋士への対策として、居飛車党が相居飛車の感覚を求めて相振り飛車にするような戦略も生じ、振り飛車党も相振り飛車をマスターする必要性があった。 2010年代後半~人間を上回ったコンピュータ将棋は居飛車を評価し振り飛車を評価しない傾向であることが知られており、振り飛車冬の時代が訪れた[1]。 広瀬章人・永瀬拓矢など、元来は振り飛車党であった棋士が居飛車党に転向する事例も多く、純粋な振り飛車党は減少傾向となった。 令和時代2020年代前半~タイトルは藤井聡太を筆頭に居飛車党が占めることが多くなった。 一方でコンピュータ将棋ソフトどうしの対局では居飛車局面が頻出するため対振り飛車の学習ができず、強豪ソフトでも対振り飛車に比較的弱いソフトもあった[1]。 2020年からは居飛車党だった佐藤天彦が振り飛車を多用するようになり、2023年には豊島将之が時折、振り飛車を採用するようになったことで、居飛車一辺倒になるかと思われたトップ棋士の情勢に変化が見られた。 コンピュータ将棋ソフト開発者からは、対振り飛車は期待勝率が上がるが、必勝と言えるものではないと振り飛車を再評価する声も上がった[2]。 2023年には振り飛車党の菅井竜也が叡王戦、王将戦とタイトル戦の挑戦権を2回獲得。しかし、2023年は藤井聡太が八冠全冠制覇を達成した年でもあり、居飛車党がタイトルを独占する状況に変化は見られなかった。 振り飛車の戦法
振り飛車の囲い振り飛車党振り飛車を主に採用する棋士は「振り飛車党」と呼ばれる。 主な振り飛車党の棋士
(特に藤井猛、久保利明、鈴木大介の3人は「振り飛車御三家」と呼ばれる。) 脚注
参考文献
関連項目 |