打木村治打木 村治(うちき むらじ、1904年4月21日 - 1990年5月29日)は、日本の小説家・児童文学作家。本名、打木 保(うつぎ たもつ)。 経歴大阪府に生まれ、父の病気により、母の実家があった埼玉県比企郡唐子村(現・東松山市)で育つ[1]。早稲田大学政治経済学部卒[2]。大蔵省勤務のおりに知り合った川端康成に才能を認められ[1]、文学活動に入り『作家群』を主宰した。 その後、『文芸評論』への関りから1936年(昭和11年)にコム・アカデミー事件で検挙される[3]も、翌1937年(昭和12年)には『部落史』で芥川賞候補となった。昭和初期の不況を背景に資本主義下にあえぐ農村、都会の下層の人々を描き、農民文学作家の地位を築く[1]。農民文学懇話会に参加した。戦後は『農民文学』を創刊、児童文学で活動した。 1957年(昭和32年)『夢のまのこと』で小学館児童文化賞、1972年(昭和47年)埼玉文化賞、『天の園』で芸術選奨文部大臣賞、1973年(昭和48年)同作でサンケイ児童出版文化賞受賞、1976年(昭和51年)児童文化功労者、1978年(昭和53年)『大地の園』で日本児童文芸家協会賞、1979年(昭和54年)勲四等瑞宝章。 1990年(平成2年)5月29日に死去。86歳没。 逝去後の2018年より、著作の『天の園』、『大地の園』をNHK連続テレビ小説の原作にする誘致運動が舞台地の入間市から起きている [4]。 また東松山市下唐子の唐子中央公園内には『天の園』の文学碑がある。 著書
脚注
関連項目外部リンク
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