手塚強
手塚 強(てづか つよし、1975年12月14日 - )は、岐阜県各務原市出身のドリフトドライバー、自動車販売会社代表。 プロフィール略歴JZX81型チェイサーでドリフトを始める[2]。 D1グランプリ(D1GP)には初年度の2001年より、JZX81型トヨタ・チェイサー(マークⅡ顔)を駆って参戦。迫力のある走りを持ち味とし、2001年開幕戦エビスサーキットでは3位に入賞したが、その後はミスの多さやマシンの老朽化から良い結果を残せず、ランキング中位でシーズンを終えていた。 しかし、2005年よりBee☆R(ビーレーシング)のBNR32型スカイラインGT-Rにマシンをチェンジしてから、追走にも進出するようになる。2006年第7戦では、チャンピオン争いをしていた野村謙(ベスト16)、風間靖幸(ベスト8)、熊久保信重(ベスト4)を次々と破り、自己最高位の2位を獲得。2007年に入ってからは安定して上位に顔を出すようになった。 2008年第3戦での鈴鹿サーキットでは念願の初優勝を飾った。また、同年のエキシビジョンマッチTOKYO DRIFT IN ODAIBAでも、野村謙とサドンデス3回に渡る接戦の末優勝を果たしている。 2008年から2010年まで、ER34型スカイラインクーペでD1ストリートリーガルにも参戦していた。 2009年は、第4戦岡山で、決勝で同じGOODYEAR RACINGのゼロクラウンに乗る時田雅義を破り、シリーズ2勝目を挙げる。その後も安定して上位進出しシリーズランキングトップのまま最終戦を迎えたが、今村陽一に僅かな差でポイントを逆転されてしまい、ランキング2位でシリーズを終えた。 2014年は新車のJZX100型マークIIで参戦を発表するが、初戦の富士はマシン製作が遅れてしまい、Bee☆Rのスカイラインで参戦。第2戦鈴鹿からマークIIを投入した。 また、2014年と2015年には、D1GPロシアシリーズに自身の練習機であるJZX100型マークIIで参戦。 2015年に、エビスサーキットで開催されたドリフトジャンボリー夏エビスで、単走優勝、追走でも決勝にて川畑真人を破りパーフェクトウィンを決める。 2016年は、D1GPへの参戦を急遽休止した。 2017年D1GPへBee☆R製作の2JZ-GTEエンジン搭載のトヨタ・86(ZN6)にて参戦。復帰初戦でベスト8まで勝ち進みシード入りし、続く第2戦もベスト8入りを果たす。 2018年、D1GP引退。 2019年から2021年にかけては、内海彰乃のスポッターとしてD1GPに全戦関わった。 2022年、俺だっ!レーシングのドライバーに起用され、D1GPへドライバーとして復帰[3][4]。2JZ-GTE搭載のGRスープラを駆って第8・9戦に参戦した。第8戦(土曜日)の追走ベスト8中に廃車レベルの大クラッシュをしたが、メカニックの懸命な作業のによりマシンは修理され、翌第9戦の朝には何もなかったかのようにピットに並んでいた。手塚自身はまだ痛そうだったが、走りには支障なく、2戦連続の追走進出を果たした。 2023年は俺だっ!レーシングのスポッターに転向し、自身が昨年搭乗していたGRスープラを駆る最上弦毅をコース外から支える。また、D1GPに並行して、FDJ3シリーズに参戦する高校生ドライバーの川瀬羚也のスポッターも務める[5]。 2024年も引き続き俺だっ!レーシングのスポッター兼監督としてカラーリングが変わったGRスープラを駆る山中真生をコース外から支える。また、D1GPに並行して、FDJ2にシリーズ参戦している高校生ドライバーの川瀬羚也のスポッター兼総監督を務める[5]。
人物
脚注
外部リンク |