所沢陸軍飛行場所沢陸軍飛行場(ところざわりくぐんひこうじょう)は、埼玉県所沢市並木にあった飛行場。陸海軍共同で設立した臨時軍用気球研究会により開設されたのち、大日本帝国陸軍が管轄するかたちになっていく。のちに所沢陸軍飛行学校が設置されたが、敗戦後周辺施設とともにアメリカ軍に接収された。現在7割は返還され、所沢航空記念公園をはじめ公共施設用地として利用されているが、一部は現在も、米第5空軍374空輸航空団所属、所沢通信基地や大和田通信所として稼動している。 概要陸軍は陸軍気球隊の設立ののち、海軍と共同で1909年(明治42年)に臨時軍用気球研究会を設立。同研究会の研究内容には飛行船だけでなく、誕生まもない飛行機も含まれており、日本も航空研究を進める為の試験場として最初の飛行場の選定に入った。1910年(明治43年)2月に所沢が飛行場用地と決定、8月に同研究会は23万1千坪の土地を購入した。 1911年(明治44年)4月1日に日本初の航空機専用飛行場が埼玉県入間郡所沢町に完成、同月5日に徳川好敏大尉が操縦するフランス製複葉機アンリ・ファルマン機が高度10m、飛行距離800m、飛行滞空時間1分20秒の試験飛行を行なった。以来終戦まで試作航空機や飛行船、航空兵の操縦訓練に使用された。飛行学校も開設されたため、武蔵野鉄道(現在の西武池袋線)や旧西武鉄道(現在の西武新宿線)も競って基地への最寄駅を設置した。(現在は両駅とも廃止) 1915年(大正4年)11月に臨時軍用気球研究会は廃止され、12月10日に2個飛行中隊と1個気球中隊の陸軍飛行大隊に再編された。翌1916年(大正5年)飛行場北側の土地約35万坪を購入、滑走路南西にあった諸施設を中央(現在の所沢通信基地附近)に移設した。 歴史
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脚注
位置座標:北緯35度48分28.16秒 東経139度28分12.66秒 / 北緯35.8078222度 東経139.4701833度座標: 北緯35度48分28.16秒 東経139度28分12.66秒 / 北緯35.8078222度 東経139.4701833度 |