戸田忠厚戸田 忠厚(とだ ただあつ、1851年〈嘉永〉 - 1922年〈大正11年〉5月26日)は、明治時代に活動した日本の牧師である。 日本人で最初にサンタクロースを演じた人物と言われている[1][2]。 生涯武蔵国忍藩士の水谷右衛門の次男として生まれ、幕臣の戸田家に養子に入る。1874年(明治7年)に原女学校で開催された最初のクリスマス行事で、サンタクロースに扮したとされる[3]。1877年(明治10年)に奥野昌綱と一緒に洗礼を受ける。 1877年(明治10年)10月に日本基督一致教会が設立されると、その6日後に招聘を受けて下総大森(現・千葉県印西市)の下総大森教会に赴任する。1880年には長老に辞任を申し入れている[4]。 安川亨と共に、千葉県で伝道を始め、を創立する。戸田と安川の伝道により救われた渡辺伊十郎が、1882年(明治15年)に戸田を松尾の自宅に招いて集会を開いた。この集会で12名が洗礼を受けた。1883年11月1日のその家庭集会を九十九里教会とした[5]。 1882年(明治15年)に創立された日本基督一致教会高輪教会(現・日本基督教団)の初代牧師に就任する[6]。 1905年(明治38年)には石川県金沢市の日本基督殿町伝道教会(現・日本基督教団金沢元町教会)の牧師に就任して、1911年まで牧会する。同教会の牧師に就任したのは、1884年(明治16年)5月6日に実弟の加藤敏行(1855年(安政2年)4月8日生)が牧師として金沢の広坂通りで伝道中、2人の暴漢に木刀で襲われ、その傷が元で数ヶ月後殉教したからだという。 親族脚注参考文献 |