慈眼寺 (小千谷市)
慈眼寺(じげんじ)は、新潟県小千谷市平成2丁目3-35にある寺院。山号は船岡山(ふなおかさん)。本尊は聖観世音菩薩。宗派は真言宗智山派。 歴史寺伝によれば、天武天皇の白鳳年間(7世紀末)に薩明大徳が創建したと伝わる。貞観2年(860年)に真雅が創建したという説もある(『年表小千谷』)。 慶応4年(1868年)5月2日 (旧暦)には越後国長岡藩家老河井継之助と新政府軍監の岩村精一郎(のちの岩村高俊)が会談したことで知られている。河井は中立和平を訴えたが、決裂し、戊辰戦争の内でも激戦として知られる北越戦争に突入した[1]。 境内境内には、山門、船岡観音堂、慈眼寺本堂、庫裡、小千谷幼稚園などの建物と岩村軍監、河井総督会見談判所(本堂内)、同上記念碑の戊辰史蹟などがある。 岩村河井会見記念碑は、慶応4年5月2日、この寺で両者が会見し談判した史実を記念して、昭和14年(1939年)、当山先代住職船岡芳快の発願によって建てられたものである。 碑文は徳富蘇峰の撰、篆額と書は小千谷市出身の島田博の筆である。 船岡観音現在は慈眼寺境内に船岡観音があるが、以前は小千谷市西中にあったという。小千谷市西中には今でも観音堂という地名がのこっている。 空海(弘法大師)が旅の途中、村人に頼み庵を結び、しばらく住んでいた。空海は説教・祈祷・看病・堰の造営などをし、夜は仏像を刻んでいた。やがて、三尺六寸の聖観音像が完成し、空海は村人に、「この観音様を拝み、仏の教えを守れば、皆は極楽往生するだろう。」と言い残して村を去っていったという。 文化財登録有形文化財小千谷市指定文化財
慈眼寺を舞台とした作品交通信濃川左岸の市街地に立地し、山門は寺町通り(県道49号)に面する。
周辺脚注
関連項目外部リンク座標: 北緯37度18分27.1秒 東経138度47分39.6秒 / 北緯37.307528度 東経138.794333度 |