愛欲と純潔の戦い
『愛欲と純潔の戦い』(あいよくとじゅんけつのたたかい, 伊: Lotta tra Amore e Castità, 仏: Le Combat de l'Amour et de la Chasteté, 英: Combat of Love and Chastity)は、盛期ルネサンスのイタリアの巨匠ピエトロ・ペルジーノが1503年に制作した絵画である。テンペラ画。愛欲と純潔の闘争を主題とする神話画ないし寓意画であり、マントヴァ侯爵夫人イザベラ・デステの発注によって制作され、アンドレア・マンテーニャやロレンツォ・コスタの作品とともにイザベラ・デステの書斎を装飾する神話画連作を形成した。またメディチ家当主ロレンツォ・イル・マニフィコのために制作された『アポロンとダプニス』とともに、ペルジーノの2点のみ現存する神話画の1つである。現在は『アポロンとダプニス』と同様にパリのルーヴル美術館に所蔵されている[1][2][3][4]。 制作経緯![]() ![]() 絵画はマントヴァのドゥカーレ宮殿の一部であるサン・ジョルジョ城のイザベラ・デステの書斎の装飾のための連作絵画の第3作目として発注された。第1作と第2作はマントヴァの宮廷画家アンドレア・マンテーニャの『パルナッソス』と『美徳の勝利』(Trionfo della Virtù)であり[3]、続いて第3作にペルジーノに本作品である『愛欲と純潔の戦い』、さらに第4作としてロレンツォ・コスタに『調和の王国のイザベラ・デステ(あるいはイザベラ・デステの戴冠の寓意)』(Isabella d'Este nel regno di Armonia, o Allegoria dell'incoronazione di Isabella d'Este)が発注された。『コモスの治世』(Regno di Como)は当初はマンテーニャに発注されたが、マンテーニャが制作半ばで死去したためロレンツォ・コスタに委ねられた。 絵画の交渉が始まったのは1497年であり、イザベラ・デステとペルージノの間で交わされた70通に及ぶ書簡は、絵画のサイズと使用する素材を明確に規定し、主題について詳細な指示を与えている。イザベラは発注した主題の内容に対して厳格であり、画家の創意が入り込む隙間はなかった。実際、この連作ではジョヴァンニ・ベッリーニにも1作品が発注されたが、ベッリーニは自由に制作しようとして頓挫し、最終的に制作を放棄している[5]。ペルジーノに対してもイザベラは画家自身が発案した図像の追加を禁じている。マントヴァの人文主義者パリーデ・ダ・チェレザーラによって詳しい図像計画が考案され、数年間に及ぶ交渉の後の1503年1月19日の契約書に盛り込まれた。報酬は100ドゥカートであった[3]。 主題愛欲と純潔イザベラは1503年1月19日の手紙の中で、主題を愛欲と純潔との間で繰り広げられる闘争とし、愛欲としてのヴィーナス、キューピッドと、純潔としてのミネルヴァ(パラス)、ディアナの戦いとして構想したことを明示している[6]。
装飾要素続いてイザベラは愛欲およびび純潔の擬人像をより一層豊かに表現するため、図像について様々な指定をしている。その一つにミネルヴァとヴィーナスのアトリビュートを描きこむこと、また純潔の敵として登場する古代神話の様々な神々を描きこむことを指示している。
最後にイザベラは詳細のすべてを小さな素描で送ること、画中にあまりにも多くの人物を描くことになる場合は、最初の主要な構想であるミネルヴァ、ディアナ、ヴィーナス、キューピッドを除去しない限りは適切に除去することを容認している[6]。 作品ペルジーノは愛欲と純潔を表す擬人像が武器を取り、激しく戦う様子を描いている。愛欲は美の女神ヴィーナスと恋の神キューピッドによって表され、純潔は知恵の女神ミネルヴァと狩猟の女神ディアナによって表されている[3][4]。ペルジーノはイザベラの指示に忠実である。ヴィーナスは画面中央の最前景で長い柄の松明を持ち、燃え盛る炎をディアナに対して突き出している。一方のディアナはヴィーナスに対して弓矢を構え、今にも矢を放とうとしている。キューピッドの多くは目隠しをしており、画面の各所で、ときにはサテュロスの肩にまたがって、弓矢を構えるかあるいは松明を振りかざしている。画面左ではミネルヴァが兜と胸当てを身に着け、キューピッドの髪を背後からつかみ、槍を突き下ろそうとしている。ヴィーナスとディアナは乳房をあらわにして戦っているが、ディアナの従者であるニンフたちは弓矢か、あるいは盾と棍棒で戦っている。 また絵画のディテールのいくつかはイザベラの手紙と照らし合わせることで理解できる。たとえば、ミネルヴァの傍らに立っている木はオリーブであり、その幹にかけられている盾はミネルヴァの持つアイギス、また上方の枝にとまっている鳥はフクロウである。同様にヴィーナスの傍らに立っている木はギンバイカであると分かる。 背景ではエウロペを略奪するユピテル、月桂樹に変身するダプネにすがりつくアポロン、プロセルピナを略奪するプルート、イルカの背に乗ったネプトゥヌスといった古代神話の登場人物が描かれている。画面右の丘の斜面ではサテュロスたちが楽器を演奏している。 ヴィーナスやキューピッドが持つ松明は愛の炎を象徴している[7]。多くのキューピッドが目隠しをしているのは、愛が盲目であることに由来する[8]。ニンフが装備している盾はキューピッドの矢から身を守るための貞潔としてのディアナの持ち物である[9]。背景の神話的人物のうちダプネは純潔と関係があり、アポロンの求愛から逃れたことにちなみ、純潔の擬人像は変身するダプネのような姿で描かれることがある[10]。 絵画は完成すると1505年6月にイザベラ・デステのもとに届けられた。受け取ったイザベラは作品を評価しつつも十分に満足しなかった。「よく構図が作られ、色付けされていますが、もっと熱心に仕上げていたなら・・・あなたのより大きな名誉と満足になったでしょう」[3]。 来歴イザベラ・デステは1519年に夫のフランチェスコ2世・ゴンザーガが亡くなった後、イザベラは絵画をドゥカーレ宮の1階の新しい書斎に移した[11]。ペルジーノが1523年に死去すると、イザベラは代理人を通じて画家の未亡人キアラ・ファンチェッリと連絡を取り、ウルカヌス、ヴィーナス、マルスを描いたペルジーノの現存しない神話画について交渉した。しかしキアラが絵画を売却したいと申し出ると、イザベラはこれを断った[3]。その後、イザベラは1531年頃にコレッジョの2つの寓意画『美徳の寓意』と『悪徳の寓意』を追加した。絵画はマントヴァ公爵フェルディナンド・ゴンザーガが死去した1627年頃に、他の連作とともにフランスのリシュリュー枢機卿に寄贈された。1630年代には連作はポワティエ近くのリシュリュー城に飾られており、フランス革命までリシュリュー城に留まったのち、ルーヴル美術館に収蔵された[11]。 ギャラリー脚注
参考文献
外部リンク |
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