待兼山
待兼山(まちかねやま)は、大阪府豊中市・池田市・箕面市にまたがる千里丘陵の山。標高77.3m[1]。「待兼山町」として豊中市の地名にもなっており、その面積の大半を大阪大学豊中キャンパスが占め、その周りは閑静な高級住宅街となっている。 概要古くは歌枕ともなった由緒ある山。『枕草子』の「山は」の項や[2]、『古今和歌六帖』『詞花和歌集』『新古今和歌集』『夫木和歌抄[注釈 1]』などにも登場する[3][4]。 かつては褐鉄鉱の一種である高師小僧「待兼山石」を産出した。山頂付近には、大正天皇の行幸を記念した石碑が立っている。 1926年(大正15年)には、山上に旧制浪速高等学校が設立され、現在もその後身の大阪大学石橋団地(通称豊中キャンパス)が立地する。そのため、「待兼山」は阪大の代名詞となっている[注釈 3]。 1964年(昭和39年)には、先史時代(新生代第四紀)のワニ・マチカネワニの化石が学内工事現場から出土した[4][5]。日本で発見されたワニ類化石第1号であり、完全に近い骨格であることが評価され、2014年(平成26年)には国の登録記念物として登録された[6][7]。 大阪大学と中国自動車道をはさんで南東に位置する正安寺は、「待兼山」を山号とする。読みは「たいけんざん」[8]。 池待兼山山頂(北緯34度48分26.5秒 東経135度27分02.7秒 / 北緯34.807361度 東経135.450750度)南側の緩やかな斜面には阪大坂があり、谷底に中山池(北緯34度48分20.8秒 東経135度27分04.7秒 / 北緯34.805778度 東経135.451306度)がある。かつては、近世以降に造成されたと思われる上山池、中山池、下山池の3つの池があった。下山池は豊中キャンパス外に存在していたが、宅地開発で埋め立てられた。キャンパス内の上山池も埋め立てられ、残るのは中山池のみである[9]。豊中キャンパス東口の国際交流会館前には、乳母谷池(北緯34度48分18.6秒 東経135度27分23.6秒 / 北緯34.805167度 東経135.456556度)がある[10]。また、基礎工学国際棟シグマホール西側には、待兼池(北緯34度48分13.0秒 東経135度27分16.8秒 / 北緯34.803611度 東経135.454667度)がある[10][11]。 文化財
交通アクセス脚注注釈出典
参考文献
関連項目外部リンク |