弘仁・貞観文化弘仁・貞観文化(こうにん・じょうがんぶんか)とは、日本史において、弘仁・貞観年間を中心とする平安時代前期(ほぼ9世紀に相当)の文化。この期間を「弘仁・貞観時代」という。なお、日本美術史では20世紀末頃から「弘仁・貞観時代」という表記をあまり用いなくなり、「平安時代前期」と称することが多くなっている[1]。 特色文学漢詩文集 史書
詩論
説話集 儀式書 建築比叡山延暦寺や高野山金剛峯寺など山中に寺院が建立されることが多くなり、飛鳥や平城京に建立された寺院と異なり自由な伽藍配置となっている。また、檜皮葺の屋根も特徴。
彫刻仏像は前代に流行した金銅仏、乾漆造、塑造などが影をひそめて木造が主流となり、一木造で、着衣が波打つ翻波式が特徴。以下の仏像彫刻は全て国宝に指定されている。
絵画密教絵画が多い。 書道→詳細は「日本の書道史 § 平安時代」を参照
教育有力貴族は子弟の教育のため大学別曹という私的な寄宿施設を設け、後に大学寮の付属となった。大学別曹としては、和気広世創立の弘文院、藤原冬嗣創立の勧学院、橘嘉智子・橘氏公創立の学館院、在原行平創立の奨学院の4つが有名。 教科には中国史や漢文学を学ぶ紀伝道が成立し、法律を学ぶ明法道・儒学を学ぶ明経道・数学を学ぶ算道と共に教えられた(特に重視されたのは紀伝道)。 一般庶民のための教育機関としては、空海が創立した綜芸種智院があった。 関連項目脚注
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