乾漆造乾漆造(かんしつぞう)とは、漆工の技法の一つであり、また東洋における彫像制作の技法の一つである。 麻布や和紙を漆で張り重ねたり[1]、漆と木粉を練り合わせたものを盛り上げて形作る方法である。 源流は中国にあり、中国では「夾紵」(きょうちょ)あるいは「ソク(土偏に「塞」)」と呼ばれた技法である。器物や棺、彫像などの製作にも用いられた。日本では7世紀末から8世紀にかけて仏像の制作に多用されたが、平安時代以降は衰退した。 彫像における乾漆造の種類乾漆造には麻布を1センチほどの厚みに貼り重ねて形成する「脱活乾漆造」と、これを簡略化した技法と思われる「木心乾漆造」がある。 脱活乾漆造制作方法を簡単に説明すると、次の通りである。 まず、木製の芯木で像の骨組みを作り、その上に粘土(塑土)を盛り上げて像の概形を作る。この上に麻布を麦漆で貼り重ねて像の形を作る。麦漆とは漆に麦粉(メリケン粉のようなもの)を混ぜてペースト状にしたもので、接着力が強い。麻布の大きさ、貼り重ねる厚さなどは像によって異なるが、おおむね1センチほどの厚さにする。こうしてできた張り子の像の上に抹香漆(まっこううるし)または木屎漆(こくそうるし)を盛り上げて細部を形作る。抹香漆とは、麦漆にスギ、マツなどの葉の粉末を混ぜたものであり、木屎漆とは麦漆におがくず(ヒノキ材をのこぎりで曳いた際のくず)や紡績くずなどを混ぜたものである。奈良時代には抹香漆、平安時代以降は木屎漆が主に使われた。 なお、像の形が完成した後は、背面などの目立たない部分を切開して中味の塑土を掻き出し、補強と型崩れ防止のために内部に木枠を組む。 この技法による像は、東大寺法華堂(三月堂)、興福寺、唐招提寺などに現存し、日本彫刻史上著名な作品が多く含まれる。しかし、高価な漆を大量に用いる上、制作にも手間がかかるため、平安時代以降はほとんど作られなくなった。奈良・當麻寺(たいまでら)金堂の四天王立像は、破損甚大ながら、日本における脱活乾漆像の最古例と見なされる。 木心乾漆造像の概形を木彫で作り、この上に麻布を貼り、抹香漆または木屎漆を盛り上げて完成させる像である。脱活乾漆像が中空の像であるのに対し、木心乾漆像の像内には木心が残ったままであり、麻布もさほど厚くは貼らない。平安時代前期の仏像の中には、木彫り像の一部に木心乾漆技法を併用して表情、装身具などの細部を形作っている例も多く、「木造」か「木心乾漆造」か、機械的に分けるのが困難な場合もある。 脱活乾漆像には乾燥すると収縮し像が痩せる特徴があり、対して木心乾漆造像は痩せが少ないため、ふくよかな像に適していたと考えられる[2]。 木心乾漆造像は原型となる木心の組み方・構造によって以下のように分類される[2]。
代表的な作品
木心乾漆造の乾漆仏
木彫に木心乾漆技法併用の乾漆仏脚注
関連項目
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