平出隆平出 隆(ひらいで たかし、1950年11月21日 - )は、日本の詩人、散文家。芸術選奨文部科学大臣賞などを受賞。 人物「詩人、散文家として、数々の詩書を刊行。国際的ベストセラー小説『猫の客』の著者。みずからのデザインや写真による、極小の本 «via wwalnuts» 叢書を刊行中。多摩美術大学名誉教授、芸術人類学研究所所員。大江健三郎により「詩の中から新しい散文を生み出す詩人」とされる[1]。」 福岡県門司市(現北九州市門司区)出身。福岡県立小倉高等学校を経て、一橋大学社会学部に入学。神田神保町の「美学校」にも通う。1976年に一橋大学を卒業。 来歴1972年、大学在学中に連作詩篇「花嫁」を『ユリイカ』に発表。 1974年、稲川方人、河野道代ともに、版元「書紀書林」を設立。1975年以降、同社から詩誌『書紀』『書紀=紀』[2]のほか、いくつかの詩書を刊行。70年代の詩的ラディカリズムを担う。80年代半ば以降、同社はしばらく活動を休止したが、90年代には建畠晢が新たに加入し、詩誌『stylus』を刊行した。なお、一連のプライヴェート・プレス活動、「造本としてのエクリチュール」の実践は、2010年からvia wwalnuts社を拠点に再開される。 1976年、5月に第一詩集『旅籠屋』を紫陽社より刊行。 1978年、河出書房新社に入社し、『文藝』編集部に所属。澁澤龍彦や川崎長太郎らの担当編集者となる。 1982年、5月に第一評論集『破船のゆくえ』を思潮社より刊行。11月に第二詩集『胡桃の戦意のために』を思潮社より刊行。 1984年、10月に第三詩集『若い整骨師の肖像』を小沢書店より刊行。 1985年、評論集『攻撃の切尖』を小沢書店より刊行。アイオワ大学のInternational Writing Programに招待詩人として参加。 1987年、11月に詩集『家の緑閃光』を書肆山田より刊行。河出書房新社を退社。 1989年、3月に『白球礼讃』を岩波書店より刊行(岩波新書(新赤版)64)。 1990年、多摩美術大学美術学部芸術学科非常勤講師、1991年多摩美術大学美術学部芸術学科助教授、1998年教授(2006年度から2011年度まで芸術学科長をつとめる)。多摩美術大学芸術人類学研究所所員兼任。 1992年、10月に評論集『光の疑い』を小沢書店より刊行。 1993年、6月に『左手日記例言』を白水社より刊行(同書により第45回読売文学賞受賞)。 1995年、9月にケルンで開かれた《河原温 出現 – 消滅》展に際して講演を行う(草稿はのちにvia wwalnuts叢書07として刊行された[3])。 1997年、3月に編著『日本の名随筆 別巻73 野球』を作品社より刊行。 1998年、ベルリン自由大学客員教授として翌年の1999年までベルリンに滞在。 2000年、7月に歌集『弔父百首』を不識書院より刊行。 2001年、9月に『猫の客』を河出書房新社より刊行。『葉書でドナルド・エヴァンズに』を作品社より刊行。 2002年、4月に『ベルリンの瞬間』を集英社より刊行。 2003年、2月に『葉書でドナルド・エヴァンズに』の英訳 Postcards to Donald Evans 刊行(Tomoyuki Iino訳、Tibor De Nagy Foundations社)。6月に編集を担当した『伊良子清白全集』が岩波書店より刊行。10月に『伊良子清白』を新潮社より刊行。 2004年、3月に『猫の客』のフランス語訳 Le chat qui venait du ciel 刊行(Elisabeth Suetsugu訳、Editions Philippe Picquier社[4])。6月に『ウィリアム・ブレイクのバット』を幻戯書房より刊行。7月に評論集『多方通行路』を書肆山田より刊行。 2005年、春に開催されたライプツィヒでの国際ブックフェアにおいて、自装による長篇評伝『伊良子清白』が「世界でもっとも美しい本」賞の候補となる[5]。同年、「大江健三郎の推奨する詩人」として、大江と共にオーストリアでの文学祭Sprachsalzに参加。 2006年、思想家・人類学者の中沢新一を多摩美術大学に招聘し、芸術人類学研究所を創設。以後、同研究所では《野外を行く詩学》部門を担当し、研究をとおして過去の芸術家の居留地などを結び合わせる《フィールド・ミュージアム・ネット》の活動を展開する。東京都台東区の子規庵との連携により、正岡子規の研究にたずさわる。同年、新たに発見された子規の絵の調査を担当[6]。 2007年、9月10日に加納光於+平出隆『雷滴 その研究』を書紀書林より刊行(インタリオ:加納光於、詩篇:平出隆、限定13部)。同月27日に論集『遊歩のグラフィスム』を岩波書店より刊行。 2008年、読売文学賞選考委員をつとめる(2010年まで担当)。『胡桃の戦意のために』の英訳 For the Fighting Spirit of the Walnut 刊行(Sawako Nakayasu訳、New Directions社[7])。「第1回 日中韓・東アジア文学フォーラム」に参加。7月、古井由吉との朗読会(新宿「風花」にて)。 2009年、5月に『猫の客』が河出文庫から再刊。北九州市より特命大使(文化大使)の委嘱を受け、同年「第2回 日中韓・東アジア文学フォーラム」で基調報告を行なう。翌年、北九州市立文学館の「宗左近賞」「みずかみかずよ賞」の審査員を務める。 2010年、1月に小説『鳥を探しに』を扶桑社より刊行。via wwalnuts社を設立し、8ページを基本単位とするミニマルな書籍「via wwalnuts」叢書を創刊。メールアートのようなブックデザインを手がけるとともに、既存の文壇や詩壇から独立したかたちでの読者とのコミュニケーション・ルートを開拓し、新しい流通網をデザインするなど、様々な側面から実験的なプロデュースを行う。叢書には美術家の加納光於による図像が印刷されている。以後、同社を拠点とした出版活動を軸に、アート関係の施設やギャラリー、ブックフェアなどでさまざまな活動が展開される。3月にvia wwalnuts叢書01『雷滴 その拾遺』を刊行。以後、同叢書のシリーズを継続的に刊行。 2012年、3月に、岡井隆、平出隆、倉田比羽子、守中高明との朗読会「詩歌の饗宴————朗読と語りのゆうべ」に参加。ギタリスト・音楽プロデューサーの伊藤ゴローのアルバム『GLASHAUS(グラスハウス)』のジャケットデザインを手がけ、4月に同アルバムが発表される。デザインにはドナルド・エヴァンズの作品と平出の旧著『葉書でドナルド・エヴァンズに』にゆかりのある自身の写真が用いられた。5月には南青山のスパイラルで初の写真による個展を開催。 2014年、1月28日に小説『猫の客』の英訳The Guest Cat(Eric Selland訳)が出版される[8]。同訳書はその後、ニューヨーク・タイムズとサンデー・タイムズでベストセラーとなる[9]。これに続いて、スペイン語訳[10]、オランダ語訳[11]、イタリア語訳[12]、 スウェーデン語訳[13]、ドイツ語訳[14]、中国語訳(台湾・繁体字版)[15]、ポーランド語訳(2016年)などが刊行されている。 受賞歴
備考草野球チーム《ファウルズ》の監督兼三塁手として、長い間チームを牽引。最盛期は毎年65試合に出場していた。チームは1976年に詩人山口哲夫・稲川方人との雑談から《草野球団・ファウルズ》として創立された。1985年にアメリカ野球殿堂が文書をもって公認した史上初の草野球チーム。1986年《クーパースタウン・ファウルズ・ボール・クラブ》となる。球団の名誉顧問として長嶋茂雄、名誉選手にレロン・リー、名誉監督として豊田泰光を擁する[16]。平出自身による関連書籍として『ベースボールの詩学』『白球礼讃』などのエッセイがある。 著書
編著
編・刊行音声
出典・脚注
外部リンク |
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