常三島常三島町(じょうさんじまちょう)はかつて常三島に存在した町で、範囲としては本来は常三島と同じである。 地理南西を助任川、南東・東・北・北西を興源寺川・大岡川(同じ川が途中で名を変える)に囲まれ、半ば中州となった地域である。ただし西は助任と陸続きで、完全な中州ではなく半島状になっている。 渭北地区に属し、現在の町割では北から北常三島町・中常三島町・南常三島町に分かれる。ただし西縁は助任の一部と共に助任橋になっており、そこは現在では常三島あるいは常三島町にはあまり含めない。 南の助任新橋で内町地区の徳島町・中徳島町と、興源寺川・大岡川を越える多数の橋で助任本町・東吉野町・住吉と結ばれている。西では助任橋と陸続きである。 歴史美濃出身の蜂須賀家家臣の武市常三 (?–1593) が、蜂須賀家政からこの地を与えられた。常三は湿地だったこの地を開拓し屋敷を構えた。このことからこの地を常三島と呼ぶようになった。 常三やその家臣が移り住んだため、常三島は武家の町となった。これに対し、西隣の助任町(現 助任本町)は町人の町屋だった。 明治初期までは名東郡常三島村だったが、1889年の徳島市市制施行により、徳島市の大字の常三島村となった。その後、常三島町となった。 1942年、助任橋通り沿いが助任本町の一部などと共に助任橋となり、残りは南北に3分され、北常三島町・中常三島町・南常三島町となった。 現在の町割
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