布忍村[1](ぬのせむら)は、大阪府中河内郡にあった村。現在の松原市東新町・南新町・北新町にあたる。
地理
歴史
年表
大字
- 大字高木は、古来丹北郡に属し、もと布忍郷の内にあり、高木村と称した[2]。1871年7月14日丹南県に属し、同年11月22日更に堺県の管轄に転じた[2]。1872年2月河内国第二十区に属し、1874年1月22日第一大区一小区に改まり、同4月13日其の二番組に入り、1876年12月7日番組廃せられて、単に第一大区一小区となり、1880年4月14日八尾郡役所部内となり、同月23日第五連合に属し、1881年2月7日大阪府の管轄となり、翌3月5日清水・更池・向井・東代と五ヶ村と連合し、1884年7月1日第五戸長役場の管理区域に入って1889年4月1日の町村制施行に至った[2]。
- 大字清水は古来丹北郡に属し、もと布忍郷の内にあり、清水村と称した[2]。管轄及び区画の変遷は大字高木と同じ[2]。
- 大字更池は古来丹北郡に属し、もと布忍郷の内にあり。更池村と称した[2]。1705年村の大部分が武蔵国川越藩の大名秋元氏の領地になった[2]。南・北の二部落に分かれ、南更池は支郷だったが、1871年8月、本郷に合併されて字地となった[2]。1868年初め新に御料となって、翌2月大坂裁判所司農局の支配に移り、同5月2日大坂府司農局の支配に改まり、同7月南司農局に属し、1869年正月20日河内県の管轄に換り、同年8月2日更に堺県の管轄に転じた[2]。管轄及び区画の変遷は大字高木と同じ[2]。旧更池村南方の人たちは、江戸時代、死牛馬の処理に関わっており、明治にはいってからは屠畜も行うようになった[3]。
- 大字向井は古来丹北郡に属し、もと布忍郷の内にあり、向井村と称した[2]。
- 大字東代は古来丹北郡に属し、もと布忍郷の内にあり、東田井村と呼んだ[2]。延宝年間に至り、東代村と改称した[2]。
村政
行政区は更池、清水、高木、向井、東代[1]。村長は以下の通りである。
村長
経済
産業
- 農業
産物は米、麦、蔬菜[1]。『大日本篤農家名鑑』によれば、布忍村の篤農家は伊藤、妻屋、木下、山口姓の人物がいた[4]。
- 企業
人口
1930年に刊行された『市町村治績録 改訂第2版』によると、戸数555、人口2796[1]。
交通
鉄道路線
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
神社・寺院
- 布忍神社
- 浄林寺
- 称名寺
- 教通寺
- 宝泉寺
- 大林寺
- 浄信寺
施設
出身・ゆかりのある人物
脚注
参考文献
- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 人事興信所編『人事興信録 4版』人事興信所、1915年。
- 井上正雄『大阪府全志 巻之4』大阪府全志発行所、1922年。
- 日本自治協会編『市町村治績録 改訂第2版』日本自治協会、1930年。
- 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典 27 大阪府』角川書店、1983年。
関連項目