川村恵十郎
川村 恵十郎(かわむら えじゅうろう)は、幕末から明治時代の江戸幕府旗本、官僚。明治維新後は正平と称した。子に岩倉使節団随員の川村勇(早世した)や劇作家の川村花菱がいる。弘前基督公会の長老となった川村敬三は弟。 略歴安政2年(1855年)小仏関所番見習として出仕。文久3年(1863年)、一橋家当主徳川慶喜に朝幕関係についての建白書を提出。また農民募兵に尽力した。同年、普請役見習として一橋家家臣となる。配下には渋沢栄一・渋沢成一郎がいた。当時の川村の身分は高くなく、慶喜に直言できる立場ではなかったようである。元治元年(1864年)6月16日夜、一橋家側用人平岡円四郎とともに家老の渡辺孝綱の宿を訪問したが、その帰路で水戸藩士林忠五郎・江幡広光らによる襲撃を受けた。平岡と従者2人が殺害され、自らも傷を負ったが、林・江幡両名を闘死させている。その後も慶喜に仕え、戊辰戦争後の駿府での謹慎まで従った。 維新後の明治6年(1873年)、大蔵省に出仕。同年の台湾出兵の事後処理として大久保利通が渡清した際に随行している。以後、太政官、宮内省、内閣に奉職し、明治26年(1893年)内閣恩給局を退官。明治31年(1898年)まで日光東照宮で禰宜を務めた。 逸話
登場作品
参考文献
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