川村イタキシロマ
川村イタキシロマ(かわむらイタキシロマ、? - 1943年)は、アイヌの首長。民族活動家で、川村カ子トアイヌ記念館の創設者である。 概要生年不詳。美幌より旭川近郊・忠別川のコタンに移り住んだアイヌの一族の7代目である[1]。アイヌ名・イタキシロマは、アイヌ語で「言葉に重みがある=嘘をつかない」の意。 後に、コタンの指導者であるコタンコㇿクㇽ(村おさ)となり、1876年(明治9年)に石狩川の河畔に住むことから「川村」の日本苗字を名乗る[1]。妻はアベナンカ(タネモンコロ)[2]。1887年(明治20年)に、開拓使による強制移住により、旭川西方の近文コタンに移り住む[3]。息子に、川村カ子トがいる[4]。カ子トは日本国有鉄道の測量技手として活躍した[4][注釈 1]。 1916年(大正5年)、アイヌ民族資料を集めた場所を設け一般市民に公開。これが「川村カ子トアイヌ記念館」の前身となったアイヌ博物館である[3]。 1931年(昭和6年)頃、『人類学雑誌』に「キケウシパスイについて」という談話を残している[6]。 脚注注釈出典
参考文献
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