島津 久竹(しまづ ひさたけ)は、薩摩国薩摩藩家老日置島津家第6代。
家系
日置島津家は、島津宗家15代当主島津貴久の三男島津歳久に始まり、2代常久以降に薩摩国日置(現・鹿児島県日置市日吉町日置)を領した。明治33年(1900年)に島津久明が男爵に叙され華族となった。
略歴
正保4年(1647年)4月7日、薩摩藩藩主島津光久の弟桂忠知(島津忠朝)の長男として鹿児島城下に生まれる。[1]母は仁礼頼充の娘。
万治3年(1659年)12月22日、父忠朝(忠知)が兄光久の命で日置島津久慶の遺跡を相続したため日置島津家の嫡男となる。寛文3年(1663年)霊元天皇即位式の祝賀使として上京した。[1]
延宝3年(1675年)8月、父忠朝死去により日置島津家の家督を相続した。延宝8年(1680年)知行地の東郷と旧領日置の知行替を藩に願い出て許された。[2]
延宝8年(1680年)藩主光久の命で、徳川綱吉将軍就任の祝賀使として江戸に下る。
正徳2年(1712年)6月9日、隠居して家督を嫡男久健に譲る。[1]
正徳3年(1713年)弟久近に分家板鼻家を、次男久辰に赤山家を創設させた。この赤山家から、江戸時代後期に赤山靭負が出る。正徳4年(1714年)三男久英が分家山岡家を創設。[3]
享保元年(1716年)9月21日死去。
出典
- ^ a b c 島津家系譜
- ^ 新撰東郷史
- ^ 日置市文化財保護審議会
参考文献
日置家6代当主(1675-1712) |
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宗家 |
忠久????-1227 | 忠時1227-1265 | 久経1265-1284 | 忠宗1284-1318 | 貞久1318-1363 | 総州家と奥州家に分裂
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総州家 |
師久1363-1376 | 伊久1376-1404 | 守久1404-???? | 久世????-1417 | 久林1417-1430 | 断絶
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奥州家 |
氏久1363-1387 | 元久1387-1411 | 久豊1411-1425 | 忠国1425-1470 | 立久1470-1474 | 忠昌1474-1508 | 忠治1508-1515 | 忠隆1515-1519 | 勝久1519-1526 | 貴久1526-1566 | 義久1566-1587 | 義弘1587-1602 | 家久1602-1638 | 光久1638-1687 | 綱貴1687-1704 | 吉貴1704-1721 | 継豊1721-1746 | 宗信1746-1749 | 重年1749-1755 | 重豪1755-1787 | 斉宣1787-1809 | 斉興1809-1851 | 斉彬1851-1858 | 忠義1858-1897 | 忠重1897-1968 | 忠秀1968-1996 | 修久1996-現在
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越前家 | |
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播磨家 | |
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伊作家 |
久長1281-1317 | 宗久1317-1354 | 親忠1354-1371 | 久義1371-1422 | 勝久1422-1433 | 教久1433-1442 | 犬安丸1442-1458 | 久逸1458-???? | 善久????-1494 | 忠良1494-1526 | 相州家相続
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薩州家 |
用久????-1459 | 国久1459-1498 | 成久1498-???? | 忠興????-1525 | 実久1525-1553 | 義虎1553-1585 | 忠辰1585-1595 | 断絶
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相州家→ 垂水家 | |
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豊州家 | |
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玉里家 |
久光1871-1887 | 忠済1888-1915 | 忠承1915-1990 | 忠広1990-現在
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加治木家 | |
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佐土原家 |
忠興1610-1637 | 久雄1637-1663 | 忠高1663-1676 | 久寿1676-1690 | 惟久1690-1723 | 忠雅1723-1753 | 久柄1753-1785 | 忠持1785-1816 | 忠徹1816-1839 | 忠寛1839-1896 | 忠亮1896-1909 | 忠麿1909-1926 | 久範1926-1944 | 忠韶1944-1973 | 忠範1973-現在
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重富家 | |
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和泉家→ 今和泉家 | |
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宮之城家 | |
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永吉家 | |
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日置家 | |
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北郷氏→ 都城家 | |
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佐多氏→ 知覧家 | |
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