島津 久家(しまづ ひさいえ)は、明治時代から大正時代の陸軍軍人。都城島津家27代当主。宮崎県[注釈 1]都城出身。正四位勲四等、男爵。
経歴
27代当主久寛の弟で分家北郷家に養子に入った北郷久政の長子。
明治17年(1884年)、久寛が急死し子どもがいなかったことから、本家の家督を相続。明治24年(1891年)12月18日付けで、都城島津家の由緒と久寛の維新の功により男爵を授爵。
明治34年(1901年)に陸軍歩兵少尉に任官。軍事学研究のためフランスに留学。
明治37年(1904年)日露戦争開戦にあたって従軍のため帰国し、近衛歩兵第2連隊に入り中尉に進級、さらに大尉に進み、軍功により受勲される。
大正7年(1918年)1月31日、陸軍少佐進級。
大正11年(1922年)1月19日、近衛師団奉職中、病気で東京にて死去。
脚注
注釈
- ^ a b 明治9年時点においては、宮崎県は鹿児島県に併合されていた。
出典
- ^ a b c “27代 島津久家(しまづひさいえ)1877~1922”. 宮崎県都城市ホームページ. 都城島津邸. 都城市 (2021年6月4日). 2024年9月17日閲覧。
- ^ a b c “島津久家 (第4版 [大正4(1915)年1月 の情報)]”. 人事興信録データベース. 名古屋大学. 2024年9月17日閲覧。
都城島津家第27代当主(1884年 - 1922年) |
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宗家 |
忠久????-1227 | 忠時1227-1265 | 久経1265-1284 | 忠宗1284-1318 | 貞久1318-1363 | 総州家と奥州家に分裂
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総州家 |
師久1363-1376 | 伊久1376-1404 | 守久1404-???? | 久世????-1417 | 久林1417-1430 | 断絶
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奥州家 |
氏久1363-1387 | 元久1387-1411 | 久豊1411-1425 | 忠国1425-1470 | 立久1470-1474 | 忠昌1474-1508 | 忠治1508-1515 | 忠隆1515-1519 | 勝久1519-1526 | 貴久1526-1566 | 義久1566-1587 | 義弘1587-1602 | 家久1602-1638 | 光久1638-1687 | 綱貴1687-1704 | 吉貴1704-1721 | 継豊1721-1746 | 宗信1746-1749 | 重年1749-1755 | 重豪1755-1787 | 斉宣1787-1809 | 斉興1809-1851 | 斉彬1851-1858 | 忠義1858-1897 | 忠重1897-1968 | 忠秀1968-1996 | 修久1996-現在
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越前家 | |
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播磨家 | |
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伊作家 |
久長1281-1317 | 宗久1317-1354 | 親忠1354-1371 | 久義1371-1422 | 勝久1422-1433 | 教久1433-1442 | 犬安丸1442-1458 | 久逸1458-???? | 善久????-1494 | 忠良1494-1526 | 相州家相続
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薩州家 |
用久????-1459 | 国久1459-1498 | 成久1498-???? | 忠興????-1525 | 実久1525-1553 | 義虎1553-1585 | 忠辰1585-1595 | 断絶
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相州家→ 垂水家 | |
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豊州家 | |
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玉里家 |
久光1871-1887 | 忠済1888-1915 | 忠承1915-1990 | 忠広1990-現在
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加治木家 | |
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佐土原家 |
忠興1610-1637 | 久雄1637-1663 | 忠高1663-1676 | 久寿1676-1690 | 惟久1690-1723 | 忠雅1723-1753 | 久柄1753-1785 | 忠持1785-1816 | 忠徹1816-1839 | 忠寛1839-1896 | 忠亮1896-1909 | 忠麿1909-1926 | 久範1926-1944 | 忠韶1944-1973 | 忠範1973-現在
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重富家 | |
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和泉家→ 今和泉家 | |
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宮之城家 | |
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永吉家 | |
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日置家 | |
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北郷氏→ 都城家 | |
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佐多氏→ 知覧家 | |
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