岩手村 (愛知県)
岩手村(いわてむら)は、愛知県丹羽郡にかつてあった村(町村制施行前の村)。 歴史この岩手村に人が住み着いたのはいつの頃か分からないが、古くは慶長年間(1600年頃)に岩手村の名がある。1727年(享保12年)の『木曽川通絵図』には、一つの島として書かれ、独立した村となっている。 『寛文村々覚書』では「畑七反五畝一一歩」。『尾張徇行記』には「戸数六、人口二七、馬なし」と書かれている小さな村であった。 1607年(慶長12年)、御囲堤の築堤の折、堤の外へ取り残され洪水の心配が一段と大きくなり、村人は水害から逃れようと堤内に移住し、明治初年ごろには無住の村となった。村にあった神明社は小淵の神明社に合祀された。 沿革
地理岩手村は扶桑の北端にあった村である。現在は住人はなく、石塁(猿尾)が200余m残っている。村の中心とみられるところに塚があり、イロハモミジの大木が茂って、弁財天、地蔵を祭った小祠がある。木曽川増水の際は村民の緊急避難場所になったと言われている。この塚は扶桑町文化財(史跡)に指定されている。1982年(昭和57年)1月指定。現在塚に続く平地は畑で、一部は木曽川扶桑緑地公園となっている。 『天保村絵図』をみると、村の中央に御幸通りがあり、堤防道もある。面積は小さいが神社(神明宮)や寺(薬師寺)もあった。 岩手村には旧般若用水元杁があり、杁跡付近には堀場の地名が残っていた。扶桑町文化財(史跡)。尾張最古の元杁である。現在の場所は1634年(寛永11年)以後のもので、それ以前は約70m下流にあった。また、塚の東の畑には1979年(昭和54年)頃まで井戸が一基残っていた。 地名の由来『尾張地名考』に、岩手の「手」は当て字で、元は「出」であろう。対岸の伊木に岩が猿尾のように川へ突き出ている所があり、岩出と呼ぶ。村の様子と似ているのでここも岩出のものであろう(大意)と書かれている。 文化財木曽川扶桑緑地公園の遊具広場のすぐ北、江南市の境界近くにある[4]。イロハモミジも町文化財(天然記念物)に指定されていたが、台風で枝が折れて樹勢がなくなり、2019年9月に指定を解除された[4]。説明板では大きさは「県内でも屈指」とされ、他の町資料によると高さ26m、幹の周囲2.6mもあったとされる。 参考文献
脚注関連項目 |