岡安喜三郎岡安 喜三郎(おかやす きさぶろう)は、長唄唄方の名跡。代々岡安流家元。2代目は新内節の世界で活躍。 初代(生年不詳 - 文政11年4月8日(1828年5月21日)) 江戸長唄岡安流流祖。旗本の子ともいわれる。幼名を松下鉄次郎。3代目岡安源次郎の門弟。後に杵屋家に入る。中村座、都座で活躍。 2代目(安政6年(1777年) - 安政4年4月8日(1857年5月1日))号は醒暁斎。 初代の門弟の岡安喜八が1828年11月に2代目喜三郎を襲名。1835年に醒暁斎と改名。 3代目(寛政6年(1792年) - 明治3年11月29日(1871年1月19日)) 初代喜三郎の門弟で1821年には岡安喜代八。1829年冬に立唄、後に1850年に3代目喜三郎を襲名。1868年に喜翁を襲名。 1840年3月に江戸の河原崎座で初演された「勧進帳」で「人目の関」を唄い評価を得る。2代目富士田音蔵、3代目芳村伊十郎(後2代目吉住小三郎)と共に、天保の三名人と称えられる。 実子が4代目喜三郎。 4代目(嘉永2年(1849年) - 明治39年(1906年)9月4日) 父は3代目喜三郎。最初は12代目杵屋六左衛門の門弟で唄方。後に三味線方に転じる。初名を岡安喜三太郎。明治元年に4代目喜三郎を襲名。主な作曲には「桃太郎」がある。 妻は岡安満寿、実子が8代目岡安南浦、5代目喜三郎、5代目杵屋巳太郎。 5代目(明治9年(1876年) - 大正3年(1914年)3月8日) 祖父は3代目喜三郎、父は4代目喜三郎。実の兄は8代目南浦、実の弟は杵屋巳太郎。初名を岡安喜久次郎。1906年に5代目喜三郎を襲名。 実子が6代目喜三郎。 6代目(大正2年(1913年)4月6日 - 昭和25年(1950年)3月26日)本名は幸田嘉郎。 曽祖父が3代目喜三郎、祖父が4代目喜三郎、父が5代目喜三郎。1920年に6代目喜三郎を襲名。「旅ゆかば」「歌麿」などを作曲した。嘱望も夭折。 7代目(昭和20年(1945年)2月22日 - 2001年7月26日?) 実子が8代目喜三郎。 8代目(昭和44年(1969年) - ) 父が7代目喜三郎。岡安美幸が2008年に8代目喜三郎を襲名。 参考文献・出典
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia