岐阜護國神社
岐阜護國神社(ぎふごこくじんじゃ)は、岐阜県岐阜市にある神社(護國神社)である。岐阜城の築かれた金華山の北麓に鎮座する。戊辰戦争から第二次世界大戦に至るまでの、岐阜・中濃・東濃各地区出身の英霊37,800余柱を祀る。神紋は菊に桜。 春は桜の名所として境内の早咲きの鵜飼桜(江戸彼岸桜)が有名である。岐阜市内で最も早く開花するこの桜は、幹周り約2.5m、樹高約8 m、樹齢100年以上と古く、春の訪れと共に多くの花を咲かせる。かつては桜の咲き具合で鵜飼の鮎の漁獲量を占ったので鵜飼桜の名が付いたという。岐阜公園・長良川堤の桜と併せて、飛騨・美濃さくら三十三選の一つに選ばれている。 近年では、本殿での神前結婚式が数多く執り行われており、平和を打ち立てる神、家内安全の神として崇敬されている。併設のせいらん会館では結婚披露宴も行われる。 歴史岐阜県内には、1870年(明治3年)に大垣城内に大垣招魂社(後の濃飛護國神社)、1909年(明治42年)に高山城址に飛騨招魂社(後の飛騨護國神社)が創建されていたが、岐阜市ほか10郡には招魂社がなかった。日露戦争後の1908年(明治41年)、岐阜市郊外の稲葉郡北長森村(現・岐阜市野一色)に陸軍歩兵第68聯隊が設置され、1917年(大正6年)に稲葉郡那加村(現・各務原市)に陸軍各務原飛行場が開設されると、当地出身の英霊を祀る招魂社建立の機運が高まった。1918年(大正7年)に歩兵第68聯隊は岐阜県知事、市町村長及び在郷軍人などの有志と共に招魂社の創建を企画したが実現しなかった[1]。 1937年(昭和12年)の支那事変勃発に伴い、1939年(昭和14年)3月10日に2市10郡209ケ村の代表者が内務省へ創立を出願し、内務大臣から創立許可を受けた。翌1940年(昭和15年)11月に社殿が竣工、同19日に鎮座の儀、翌20日に幣帛供進の儀が執り行われて創建された[1]。なお、1939年(昭和14年)4月1日に施行された「招魂社ヲ護國神社ト改称スルノ件」(昭和14年3月15日内務省令第12號)により、招魂社は護國神社と名称が改められていたので、創建当初から「岐阜護國神社」と称し、内務大臣指定護国神社に指定された[2]。 第二次世界大戦後の一時期は美濃御霊神社と改称していたが、主権回復後は元の名に復した。1952年(昭和27年)10月に岐阜県神社庁より県神社庁長参向指定神社(金幣社)の指定を受ける。1962年(昭和37年)に昭和天皇・香淳皇后による御親拝が行われている[1]。1995年(平成7年)には終戦50周年記念事業として拝殿(外拝殿)が竣工している。 施設境内に、戦災犠牲者(空襲や海外移民、敵味方を問わず)及び無縁の遺族や遺骨を祀る鎮霊社があるほか、英霊の霊璽簿(名簿)を護る耐火耐震造の奉安殿、河童大明神を祀る河童堂などがある。せいらん会館は神社の付帯施設で、以前は「ホテルせいらん」として営業していたが、2007年(平成19年)4月に営業終了[3]、2009年(平成21年)6月に全面リニューアルし、神社の参集殿・結婚披露宴のみの営業となった。また、参集所の1階には岐阜県遺族会の事務所が入居する。 本神社は長良川河畔に位置するため、浸水を防ぐために境内を囲むように防水壁が設けられており、岐阜市道上材木町鏡岩線沿いの複数個所に洪水時に使用される陸閘が設けられている[4]。 祭事
文化財近隣施設参考画像
脚注
関連項目外部リンク
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