山本清 (海軍軍人)
山本 清(やまもと きよし、1883年(明治16年)12月17日 - 1960年(昭和35年)7月5日)は、日本の海軍軍人、政治家、華族。最終階級は海軍中佐。貴族院議員、伯爵。位階勲等は1944年(昭和19年)時点で従三位勲三等[1]。 親族実父は海軍大将・山本権兵衛でその長男。妻は海軍主計大佐・平井七三郎の長女マサ子。義兄に財部彪、山路一善、義弟に上村彦之丞の嗣子従義、松方正義の八男・乙彦がいる。長女は中南米に詳しく、キューバのカストロ議長とも面識があった満喜子[2]。満喜子の夫清二(旧姓阿部)は山本家の婿養子となるが戦病死し、山本家は衛(石川島播磨重工勤務)が継承した[2]。三女の登茂子は朝吹常吉の四男・四郎の妻。 経歴海軍兵学校34期。古賀峯一、住山徳太郎、平田昇らが同期生である。1907年(明治40年)少尉任官。大尉時代に語学研究のため英国留学[3]。第一次世界大戦では「出雲」分隊長として出征[4]。「出雲」は当初遣米枝隊に属して北米での通商保護にあたり[5]、のち第二特務艦隊に編入された。同艦隊は地中海で連合国艦船の護衛任務に従事した部隊で、山本は同艦隊副官を務めた[6]。その後軍令部出仕[7]、第一遣外艦隊副官、横須賀海兵団副官を経て[8]、1923年(大正13年)予備役編入となる[2]。昭和期はロンドン海軍軍縮会議に全権随員として参加[8]。外務省に嘱託として籍をもち[8]、1933年(昭和8年)父の死去により翌年1月に襲爵。1939年(昭和14年)7月10日には貴族院伯爵議員に互選され[9]、研究会に所属し1946年(昭和21年)5月8日[10]まで在任した[11]。 脚注参考文献
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