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山本岩多
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"山本岩多"
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(
2016年12月
)
伝記の記載を年譜形式のみとすることは
推奨されていません
。
人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。
(
2016年12月
)
山本 岩多
(やまもと いわた、
1896年
(
明治
29年)
5月15日
-
1944年
(
昭和
19年)
10月25日
)は、
日本
の
海軍
軍人
。最終
階級
は海軍
少将
。
年譜
1915年
(大正4年)3月31日 - (旧制)
栃木県立栃木中学校
卒業、
海軍兵学校
および
陸軍士官学校
(
第30期
)を受験し、双方に合格している。
1918年
(大正7年)11月21日 -
海軍兵学校
(
46期
)卒業・海軍少尉候補生・「
常磐
」乗組
1919年
(大正8年)8月1日 - 海軍
少尉
任官・「
比叡
」乗組
1920年
(大正9年)8月3日 - 「
朝潮
」乗組
12月1日 -
海軍水雷学校
普通科学生
1921年
(大正10年)5月20日 -
海軍砲術学校
普通科学生
12月1日 - 海軍
中尉
昇進・「
卯月
」乗組
1922年
(大正11年)5月25日 -
海軍潜水学校
普通科学生
12月1日 - 「
第43潜水艦
」乗組
1923年
(大正12年)6月25日 - 「
梅
」乗組
12月1日 - 「
第59潜水艦
」乗組
1924年
(大正13年)11月1日 - 「
呂60潜水艦
」乗組
12月1日 - 海軍
大尉
昇進・「
磯風
」水雷長兼分隊長
1925年
(大正14年)6月1日 - 「
早鞆
」分隊長
1926年
(大正15年)4月1日 - 「
柳
」乗組
11月1日 「
海風
」水雷長兼分隊長
1927年
(昭和2年)12月1日 - 「
呂53潜水艦
」乗組
1929年
(昭和4年)3月15日 - 「
呂14潜水艦
」艦長兼「
呂15潜水艦
」艦長兼「
呂16潜水艦
」艦長
11月30日 - 「呂14潜水艦」艦長兼「呂15潜水艦」艦長
1930年
(昭和5年)3月3日 - 「
夕張
」水雷長兼分隊長
11月1日 - 「
樅
」駆逐艦長
1931年
(昭和6年)4月15日 - 「
栂
」駆逐艦長
12月1日 - 海軍
少佐
昇進
1933年
(昭和8年)5月1日 - 「
灘風
」駆逐艦長
1935年
(昭和10年)11月15日 - 「常磐」水雷長
1936年
(昭和11年)12月1日 - 「
叢雲
」駆逐艦長
1937年
(昭和12年)7月15日 - 「叢雲」駆逐艦長兼「
白雲
」駆逐艦長
10月20日 - 「叢雲」駆逐艦長兼「
薄雲
」駆逐艦長
12月1日 - 海軍
中佐
昇進・「叢雲」駆逐艦長
1938年
(昭和13年)12月15日 - 「
敷波
」駆逐艦長
1939年
(昭和14年)2月2日 - 「
陽炎
」艤装員長
8月10日 - 「陽炎」駆逐艦長
11月1日 - 「
鬼怒
」副長
1940年
(昭和15年)8月27日 - 「
剣埼
」副長
10月15日 - 佐伯防備隊副長
1941年
(昭和16年)3月5日 - 佐伯防備隊副長兼「
釣島
」艤装員長
7月1日 - 第32駆逐隊司令
1943年
(昭和18年)1月6日 -
聯合艦隊
司令部附
1月12日 - 第7駆逐隊司令
5月1日 - 海軍
大佐
昇進
12月15日 - 「
多摩
」艦長
1944年
(昭和19年)10月25日 - 「多摩」、
エンガノ岬沖海戦
で
空襲
により大破、
アメリカ海軍
の
潜水艦
「
ジャラオ
」 (USS Jallao, SS-368) の
雷撃
により撃沈され、戦死、海軍少将に特進、享年48
栄典
1919年
(大正8年)
9月10日
-
正八位
[
1
]
脚注
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脚注の使い方
]
^
『官報』第2132号「叙任及辞令」1919年9月11日。※山本岩外