山内保次
山内 保次(やまのうち やすじ、1881年(明治14年)7月16日[1] - 1975年(昭和50年)11月10日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。子息は、山内保武(陸士47期騎兵科、第109師団参謀として硫黄島にて戦死、中佐)。 経歴・人物新潟県出身[1]。新潟中学校を経て、1902年(明治35年)陸軍士官学校第14期卒業[1]。 1927年(昭和2年)12月に騎兵第4連隊長、1928年(昭和3年)3月に陸軍騎兵大佐、1929年(昭和4年)12月に騎兵第13連隊長を経て、1932年(昭和7年)8月8日に陸軍少将に進級と同時に待命、同月30日に予備役に編入[2]。 のち召集され、1945年(昭和20年)6月に新潟連隊区司令官兼新潟地区司令官に補任され、終戦を迎えた[1]。 1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]。 脚注参考文献
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