小笠原貞温
小笠原 貞温(おがさわら さだあつ)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。豊前国小倉新田藩(千束藩)の第4代藩主。第3代藩主・小笠原貞顕の3男。 略歴江戸にて誕生。天明2年(1782年)6月1日、10代将軍徳川家治に拝謁する。同年8月19日、父貞顕の隠居により家督を継いだ。同年12月16日、従五位下近江守に叙任する。天明5年9月、日光祭礼奉行を命じられる。寛政2年(1790年)6月17日、大番頭に就任する。寛政12年8月17日、奏者番に就任する。文化2年(1805年)12月22日、西の丸若年寄に就任する。文化9年(1812年)4月4日、本丸若年寄となる。 文政5年(1822年)2月15日、57歳で死去し、跡を長男・貞哲が継いだ。 系譜 |