小笠原長庸

 
小笠原 長庸
時代 江戸時代中期
生誕 享保7年(1722年
死没 延享元年7月6日1744年8月13日
改名 久次郎(幼名)→長庸
諡号 竜山崇吟詳雲院
墓所 愛知県豊橋市臨済寺
官位 従五位下山城守
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗
遠州掛川藩
氏族 小笠原氏
父母 父:小笠原長丘、母:姉小路公量の娘
養父:小笠原長煕
正室:小笠原長煕の次女
長恭、鍋姫、北条氏彦正室、九鬼隆貞継々室
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小笠原 長庸(おがさわら ながつね)は、遠州掛川藩の第2代藩主。忠知系小笠原家6代。官位は従五位下。山城守。幼名は久次郎。

経歴

小笠原家一門で5000石を領した旗本小笠原長丘の次男として誕生、母は姉小路公量の娘、元文2年(1737年)6月8日、先代藩主・小笠原長煕の婿養子となる。元文4年(1739年)4月16日、養父・長煕の隠居により後を継いだ。延享元年(1744年)7月6日、掛川にて23歳で死去し、跡を長男の長恭が継いだ。法号は竜山崇吟詳雲院。墓所は愛知県豊橋市臨済寺

系譜

父母

正室

子女