小林恵美
小林 恵美(こばやし えみ、1983年1月1日 - )は、日本の元グラビアアイドル・元女性タレント・元レースクイーンで、元高学歴女子大生芸能人である。イエローキャブ巨乳軍団の一人。愛称は、こばえみ。東京都出身。引退時の所属事務所はサンズエンタテインメント。曾祖母がロシア人。 略歴國學院大學久我山中学校卒業[3]、青山学院高等部卒業[4]。青山学院大学経営学部に入学[5]。学生時代に事務所であるイエローキャブに所属し、のちにサンズエンタテインメントに移籍した。 芸能界デビューのきっかけは大学1年のとき、芸能界に興味を持っていた小林に友人が「業界の人を紹介する」と言われ、イエローキャブ社長の野田義治を紹介された。野田からバストのカップとパスポートの有無を問われただけで、1週間後のハワイロケに行くことを告げられ[6]、そのままイエローキャブに所属することとなった。 イエローキャブ在籍時代は、アイドルグループ『R.C.T.』のメンバーとして活動していた。また、芸能人女子フットサルチーム『carezza』の元メンバーでもある。同じ事務所のMEGUMIの妹分的な立ち位置でもあった[7]。 2004年の事務所分裂騒動後は、野田に付いていく形でサンズエンタテインメントへと移籍。分裂後に急激に仕事が増えたため、学業に支障がでてしまい、一年留年した後に大学を卒業した。 2006年3月から1年間、『ド短期ツメコミ教育!豪腕!コーチング!!』(テレビ東京)の企画で東京大学の入試突破を目指し、受験勉強をしていた。その傍ら、小島くるみとお笑いコンビ『GLOBAL STANDARD』を結成して『M-1グランプリ』に挑戦し、2回戦まで勝ち残る。 連ドラのデビュー作品は『ライオン丸G』(テレビ東京)。 2018年9月30日をもって、サンズエンタテインメントを退所し芸能界を引退[8][9][10]。 人物好みの男性のタイプは一重まぶたの人。本は漫画・小説・問わず読んでおり、かつては『幕張』や『つるピカハゲ丸』などを愛読していた。 歌を歌うのが苦手で[7]、音痴を克服する企画に参加した事がある[11]。 特技は乗馬、水泳、ロシア語会話。趣味はスポーツ観戦、読書、天体観測[12]。 Mr.Childrenの大ファン。 WBC日本代表が優勝した後のブログに「野球大好きっ娘なので、うれしいです!!!」と記載。学生時代、東京ドームで売り子のバイトをしていた事もあるため、プロ野球は熱烈な巨人ファンである。 近年では1ヶ月の多くが休みで、仕事も収入も減り、生活費が苦しい時はヤフオク!で洋服を売っていた[13]。月収1万8000円の時もあった[7]。芸能界引退も視野に入れたこともあるという。 2018年10月、自身のブログとSNSで9月30日で芸能界を引退したことを発表した[14]。 家族兄が居る。 母方の曾祖母は日本で正教の宣教活動を行っていたロシア人であるが、小林はそのことを10代になるまで知らなかった[15]。母も正教徒であり、母方の祖父の葬儀も日本正教会のニコライ堂で執り行うなど、母方の一家は敬虔な正教徒であるが、小林自身は正教徒ではない[15]。自らのルーツを知ったことからロシアへの興味は持っており、2007年度のNHK教育テレビ『ロシア語会話』の生徒となる。 2016年放送のNHK「ファミリーヒストリー」で曽祖父母の足跡が判明した[16]。それによると、曽祖父の小林哲造は1881年生まれで、25歳のとき在ロシア日本国大使館で働いていた[16]。ロシアに渡って6年後、小林の曾祖母となるエリザヴェタと結婚して長男を儲けるが、1917年にロシア革命が勃発、反革命軍を支持した日本政府は大使館員を撤退させたが、哲造は帰国せず、家族とともにポーランドのワルシャワに逃れて日本大使館で働いた[16]。数年後、哲造の父・哲三郎が病に倒れたことを知り、哲造は一人で帰国したが、間もなく病に倒れ、44歳で死去した[16]。残されたエリザヴェタは子どもたちとともに、亡命ロシア人が数多く暮らしていたハルピンに転居し、日本の敗戦で1946年に日本に渡った[16]。エリザヴェタは長男の家族と東京で暮らしたが、夫の親戚も墓も見つけられず、失意の中で64歳で死去した(のちに小林家の墓は東京・府中市の多磨霊園にあったことがわかった)[16]。 出演バラエティ番組などレギュラー・準レギュラー
単発
ドラマ
映画Vシネマ
ラジオ
舞台
CM
PV
インターネットテレビ
キャンペーンキャラクター
作品写真集
DVD
関連作品CD
脚注
関連項目外部リンク
|