小早川四郎
小早川 四郎(こばやかわ しろう、1871年9月11日(明治4年7月27日[1]) - 1957年(昭和32年)2月10日[1][2])は、明治から昭和期の宮内官、政治家、華族。貴族院男爵議員、宮中顧問官。旧姓・毛利[1]。 略歴元長州藩主・毛利元徳の四男として生まれる[1][3][4]。兄小早川三郎の死去に伴い、その死跡を1883年5月24日に継承した[1][3][5][注 1]。1884年7月8日、男爵を叙爵[1][3][4][5][6]。 慶應義塾幼稚舎(同窓に広沢金次郎、九鬼隆輝が居る)を経て[7]、1885年(明治18年)2月、ドイツ帝国に留学し、1897年(明治30年)8月に帰国した[2][4][5]。その後、宗秩寮審議官、侍従次長、宮中顧問官などを務めた[2][3]。 1898年(明治31年)4月15日、貴族院男爵議員補欠選で当選し[8][9]、研究会に所属して活動し、1922年(大正11年)3月23日に辞職するまで4期在任した[2][10][11]。 栄典親族脚注注釈
出典
参考文献参考図書
文献
官報
関連文献
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