小早川能久
小早川 能久(こばやかわ よしひさ)は、江戸時代前期の武士。小早川秀包の三男。通称は大学、式部。小早川式部の名で兵法家としても名を残す。 生涯小早川秀包の三男として生まれる。毛利秀就に仕えたが、故あって牢人となる。江戸滞在中に水戸藩主・徳川頼房に召し出され、松平頼重の附家老となった。 また、能久は兵法家でもあり、小幡景憲に甲州流軍学を学んで『翁物語』(成立は1652年以前)を著した。能久の流れは、筑前福岡藩に伝わった。 寛文6年(1666年)4月17日に死去[1]。子の喜太郎が早世したため嗣子がなく、能久の死により小早川家は断絶した[1]。 系譜
脚注参考文献
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